日韓反核平和連帯の日本側の代表である木村公一さんからの、金信明が福岡に到着直後から
空港に迎えに行き、受け入れ病院で、連れ添ってきてくださった韓国側の医師と日本側の医師
の、金信明の病状について説明を聞かれた木村さんの報告書です。金信明の意識回復を諦めよ
うというのでなくしかし楽観的で希望的観測による言葉でなく、絶句するしかない状況の中で、「新しい出発」と語る木村さんのお気持ちをしっかりと理解し受け止めたいと思います。
崔 勝久
空港に迎えに行き、受け入れ病院で、連れ添ってきてくださった韓国側の医師と日本側の医師
の、金信明の病状について説明を聞かれた木村さんの報告書です。金信明の意識回復を諦めよ
うというのでなくしかし楽観的で希望的観測による言葉でなく、絶句するしかない状況の中で、「新しい出発」と語る木村さんのお気持ちをしっかりと理解し受け止めたいと思います。
崔 勝久
金信明さんの状態に関する報告書
木村公一
2017年8月31日
悪人が栄え善人は苦難するこの世に、 意味や理法というものがあるのか。 なぜしばしば義人が苦悩し悲惨なことに見まわれるのか、 それはこの世界そのものが不義と不条理の上に成り立っているから ではないのか? わたしが知る限り、 この歴史と実存の問いを人類史の中ではじめて発したのは、 旧約聖書の「ヨブ(記)」であり「コヘレトの言葉」 ではないでしょうか。福岡空港で、 無言の信明さんの前に立たされたとき、 わたしはヨブ記の物語りを想い起していました。
一昨日(8月29日)の朝、野上勇次、原豊典、木村公一の3人は 信明さんを迎えに、福岡国際空港へ行き、 迎えに来られた次女の実里(みさと)さんと合流しました。 信明さんを乗せた韓国航空便は予定時刻を15分遅れて9時40分 に到着、私たちは正子夫人と長女の実葉(みよん) さんを迎えました。異国での24日間の看病をやりとげたお二人が この難事に毅然と向き合っている姿を見る思いがしました。
韓国から介護付き添いをしてくださった医師と看護師が寝具に横た わる信明さんを伴われて、 別の出口から到着ロビーに出て来られました。三人は、 病院の移送車でそこから15分も離れていない千代町の病院に向い 、私たちは別のクルマで後を追いかけました。病院に着くと、 私たちの仲間の緒方貴穂さんが私たちを迎えてくれました。
応急処置室におけて通訳を介した医師同士の医務引継ぎも順調に終 え、ご家族と私たちは、高度集中治療室 (high care unit) に移された信明さんと直接面会することができました。 正子夫人と娘さんたちは信明さんの身体に手を触れて語りかけてい ました。 ソウルのグリーン病院で信明さんはときどき目蓋を開いたと聞いて いましたが、 福岡の病院でも同じように数度目蓋を細く開きました。二・ 三度口をモゴモゴ微動させました。 わたしは自分の手で目蓋を開けて指をかざしましたが、 視神経は刺激を捉えていないようでした。 仲間たちも神経中枢の機能回復を願って、 信明さんの手足をマッサージしました。
ダラシないわたしは、 このような悲運に見舞われた友人のご家族を饒舌な語りで励ます言 葉がどこにも見当たらないのです。信明さんを前にして、 絶句するしかない人間の言葉の限界を改めて知らされました。 けれども、わたしの「絶句」は悲観すべきことではなく、 重要なことである思いました。
信明さんは無言であり、わたしは絶句しました。けれども、 無言が発言にならなければ価値がないかのような認識があるとすれ ば、それは間違っています。つまり問題は信明さんの側でなく、 わたしの側にあったのです。彼の無言の中に、 絶句した私たちがいかなる言葉を聴き取るのか、 そこに私たちの新しい出発点があるのではないでしょうか。Ω
*【今の時点でご家族の心の状態も考えると、 無制約のお見舞いはやや先のことになると思い、 病院の名前は書きませんでした。】
私たち安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団は,信明氏が在日の立場から,大阪地裁で敢然と証言してくださったこと,およびその内容について深く記憶にとどめております。今回御身に降りかかった事態については絶句するばかりですが,ご家族と親しい方たちの見守りの中におられることに慰めを見出しております。再び大橋さゆり弁護士を交え,お話ができる機会が来ることを切に祈っております。(弁護団代表 加 島 宏)
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