2017年7月16日日曜日

在特会系の川崎でのヘイトスピーチ・デモを「粉砕」した市民の「勝利」について

ヘイトスピーチ・デモをさせなかったことはうれしいことです。
7月16日、川崎でリベンジということで在特会系の人たちが再度、ヘイトスピーチ・デモを敢行しようとしました。ふれあい館のスタッフは事前に記者会見をしてその動きを批判し、その後、中原警察に行き、ヘイトスピーチ・デモを許可しないように申し込みをしましたが、中原警察は許可しました。もちろん、多くの市民が中原警察に抗議をしましたが、そのような声は聞き届けられませんでした。
公共施設での集会ではないので、川崎市は一切、関知せずということであったのでしょうか。
川崎ではヘイトスピーチ・デモは許さないと呼びかけたところ、1000名の市民が集ったそうです。
そうして、在特会系のヘイトスピーチ・デモを粉砕したそうです。下の写真は、私に送られてきた写真を使わせていただきました。
在特会系の人たちはバスで来て記念写真を撮って何もできず帰ったそうです。しかし彼らにしたら、これほど自分たちのことが報道されたことでよしとしたのでしょうか。確かに在特会系のヘイトスピーチ・デモをさせなかった市民の勝利です。しかしこんな「朝鮮人を殺せ」と叫ぶデモが許されるということじたい、日本の戦後民主主義の実態を反映させていると言えるでしょう。この「勝利」をどのように考えるべきなのでしょうか。

確かに「勝利」ですが、極端なヘイトスピーチ・デモをする在特会系はごく氷山の一角です。
彼らを心情的に支える日本人は圧倒的に増えていると危惧します。日本会議の力は、小池知事の「都民ファースト」の勝利につながり、そこには自民だけでなく、野党の議員も多く参加しているそうです。
彼らや安倍は戦後日本社会の中で出るべくして出てきたのです。北朝鮮の敵視政策で、一般市民の間で朝鮮人への嫌悪感が増長させられています。

戦後日本は平和と民主主義の社会であったという認識そのものが根底的に問われていると思います。
制度化された差別、当たり前になっている差別、例えば、同じ公務員になっても、外国籍の公務員には課長以上にならせない、市民に命令する職務にはつかせないとする「当然の法理」、それを認めたうえで外国人の門戸の開放のために作られた「川崎方式」、在特会を蹴散らした市民の力で「川崎方式」を撤廃しようという流れになっていくのでしょうか。戦後日本の実態を直視し、植民地支配の残滓ともいうべき差別の歴史と現実を深く見つめる視点が在特会系のヘイトスピーチを粉砕した市民の動きの中で育まれているのでしょうか。

「福田紀彦 川崎市長への公開書簡」を是非、一読ください。
戦後の在日の歴史の中で特筆されるべき、「日立闘争」当該の朴鐘碩と、東京都の「当然の法理」を公然と批判し高裁では勝利した鄭香均と私の3人の連名です。
http://oklos-che.blogspot.jp/2017/07/blog-post_13.html










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