韓国の無血革命と日本人の連帯について
まず韓国の状況を革命とと定義することについて、一言。
大澤真幸は『可能なる革命』の前書きでこのように書いています。「本書では、私たちがほんとうは引き起こしたいこと、無意識のうちに求めている変化」を「革命」という最も強い単語で表現した、とあります。「変化を求めながらも逆に現状に固執するという悪循環から逃れるためには、革命がまさに必要だということを信じる必要がある」と。
韓国でも今の事態を革命と思っている人はごくごく少数者でしょう。朴大統領批判で有名なKim Yoeng Ok氏は120万人のデモの中で今の事態を「革命」だと言ってました。私もそう思います。昨日、起きた時に夢の中でそう思い、すぐに「革命」という文字を使いました。今回の「事件」は保守派の陰謀だとか、いろんな説があるようですが、私は今の大統領の辞任を求める事態をきっかけにして、これまでの既成の価値観、システムを根柢から変えるものにしなければならないと思うのです。ですから革命ははじまったばかりです。それがどのような方向にいくのかはこれからの市民の覚醒と、主張の内容にかかっていると考えます。
ですから、今始まった、これまでの社会を支配し、不正なことが当然とされ、経済発展を第一次的なものとして社会・教育のすべてを包摂していた価値観に疑問を抱きそれを当然のものとせず、すべてを所与のものとしてあきらめて受け入れらずをえなかったことに否を言い出したのですから、これは革命のはじまりなのです。韓国語では、「始まりが半分」といいます。始めることでやるべきことの半分は達成されたということです。120万人の人が立ち上がったことを表現するのは、革命しかありません。これから、検察、マスメディア、大学、社会構造、これまの社会をつくっていたものすべてのあるべき姿を求めるのです。そのためには、この間の腐敗の実態を暴く必要があります。
私たち日韓反核平和連帯はその革命に参加し、反核平和を求めを訴えます。それを国是とするように市民の運動で、市民の覚醒で実現させなければならないのです。その第一は、反原発宣言です。台湾がやったようにです。韓国の革命に私たち、日韓反核平和連帯は国籍を超えて参加するのです。それは日本の変革にもつながります。革命とは世界同時革命に決まってます。台湾・韓国・日本から世界に反核平和を実現すべく働きかけるのです。それが国際連帯運動です。
友人から送られてきたURLで韓国の不当解雇に抗する(日系企業なのでしょう)サンケイ労組の活動家が来日して講演した内容を見ました。現在のソウルでの120万人ともいわれているデモの内容をわかりやすく説明しています。
韓国人労働者の日本でのプレゼンについて
来日中の韓国サンケン労組の集会で、韓国情勢に関する分かりやすいプレゼンがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=BTX9e-PKL8c&feature=youtu.be
それは確かにわかりやすく日本語で作られた資料を基にして説明をしています。しかし韓国人労働者の説明に私は違和感を感じました。
120万人の革命前夜と言われている状況の中で、日本人労働者を対象にして伝えるべきメッセージは、まず第一は、韓国人労働者が原発の被害国である日本に来て、10万人にもなる福島を離れて暮らす人々に対する挨拶(慰労)の言葉ではなかったのでしょうか(私が見ていないだけかもしれないし、その場面が撮影されてないだけなのかもしれませんが)。彼が来日して言うべきことは、日本で二度と福島事故を起こさせてはならない、私たちも韓国の原発運転を止め、原発輸出を止めさせる、日本の皆さんと国際連帯運動によって、福島の人々と同じ苦しみを与えることになる原発を世界中からなくす運動をやっていきましょう、ではなかったのでしょうか。
サンケンなる日本企業の韓国人労働者への不当解雇に対する抗議に来日したのが目的で、それに連帯する日本人労働者が共に、両国の労働者と一般市民の生活の問題を取り上げ、朴大統領と安倍の退陣を求めたというのですから、その共闘の意義はおおきいですね。フィリピンのトヨタをはじめ、海外に進出した日本企業の横暴、おごりが目につきます。
11月15日に私がFBで発したメッセージです。
韓国の100万人デモは間接民主主義、すなわち代議員制度の限界、問題点を示してくれました。日本では直接民主主義による社会変革は可能でしょうか。私は残念ながら無理だと思います。敗戦後(戦後)、その経験がなく、左翼運動の総括がないからです。殺人内ゲバの総括がないことが決定的です。
するとどうなるのか。残念ながらこのままダラダラいくしかないでしょう。個別にコツコツとなされている運動に敬意を表しますが、日本は安倍の設定する方向性に向かい、直接民主主義が発生し機能することは絶望的です。共産党の躍進そのものが間接民主市議の絶対化であり変革の限界をしめしているように思えます。福島事故や沖縄の現実に立ち上がらない日本の市民が大挙して立ち上がり、直接民主主義の力を発揮するとは思えないからです。
このやや突き放したかのような挑戦的なメッセージに意外にも50名近い人が反応されていました。「いいね」マークですが、なかにはそれに賛同される人も何人かいました。
「この国の市民の大多数にとって「民主主義」とは単に選挙で一票を投ずることだけに限定されています。集会やデモという表現・示威行動は規格外.3.11の年の反原発デモや昨年の戦争法デモはその殻をほんの少し破りはしましたが,まだこれからですね。」
「「殺人内ゲバの総括がない」、全くその通りです。あれが未だに足を引っ張ってます。一方で文科省、自民党政権は着々と愚民化政策を進めています。」
同日、私は、以下のような意見を発しました。
私たち日韓反核平和連帯の立場を表明したものです。
特に、100万名を超えた韓国の直接民主主義に対する評価は、日本の代議員制度を民主主義だと捉え、戦後(敗戦後)の日本社会は平和と民主主義が機能していたと思い込み、間接民主主義を絶対化することが結果として、安倍政権を裏から支える構造になっている点、及び真面目に地域での活動に取り組みながら、結局は、 中央集権的な運動に終わり、東芝のような原発製造と輸出を公言する企業に対して連合と同じく、地域においてまったく批判できない運動に終わっている点、また大衆的な運動になれない根本的な原因に言及できない点の指摘に繋がるように思います。
韓国の無血革命は朴大統領の不正に対する退陣要求はきっかけであり、解放後の韓国社会における革命や民主化闘争にかかわらず、格差社会になり、経済が優先される社会に対する根底的な批判をし、同時に、原発建設の計画を中止したヨンドクのような動きになってきている点に日本のマスコミも運動も全く気づいていません。この延長線で新古里の原発の運転中止が実現されれば、韓国の原発輸出はできなくなります。
朴大統領はそもそも来年末までの命です。今の民衆の動きによって大統領候補に脱原発宣言を求め勝利すれば、それは台湾と同じく、いやそれ以上に、原発輸出まで無くす国策になるのです。日韓反核平和連帯はそのことを韓国市民にうったえていきます。
朴大統領退陣の動きはソウルだけではありません。最も保守的で朴大統領のおひざ元の大邱においても中高校生が商店街で退陣のアピールをしているそうです。中でも注目すべきなのは、多分、霊光という原発立地地域でのことだと思われますが、仏教界やカトリック教会及び市民が朴退陣要求の一環として、電気を使わない運動を始めたという報道がありました。
韓国の革命のはじまりが中途半端なものに終わるのか、それはこれからの運動によるでしょう。党派間の利害関係や、野党が分裂し複数の候補を出す事態になれば敗訴するでしょう。なによりも、原発立地地域で始まっている脱原発の動きをソウルの市民が受け止め、韓国人全体の問題として取り上げることができるのか、このことが問われます。
いずれにして大統領選挙はどんなに遅くとも、来年の末には実施されます。そのとき、韓国籍を持つ在日40万人は、歴史上はじめて選挙権の行使によって、韓国社会を変える主体になります。上から与えられた形式的な間接選挙に関心をもつ在日は5%にも満たなかったのです。
在日としての歴史主体を私は70歳を過ぎ、
しかし、120万人からスタートした韓国の無血革命によって、在日は韓国から原発をなくし、世界に原発を輸出せず、世界から原発をなくしていくメッセージを発することになるのです。そのときまでに日本社会も大きく変わり、沖縄と連帯をし、避難を与儀なくされた福島の人たちへの関心を強く持つ社会になり、銀座で100万人を超えるデモができるようになってくれるのを願うばかりです。
日印原子力協定に反対し、韓国の革命に連帯します
11月11日、日印原子力協定の署名がなされました。インドは核 拡散を禁じるNPTに参加していません。原発と核兵器は表裏一体 であり、この協定はインドの核兵器増強につながり、世界の平和に 逆行します。また日本の原発輸出を具体的に進めることになり、原 発建設に反対するインド民衆をさらに差別・抑圧することになりま す。世界の反核平和を訴える私たち日韓反核平和連帯は、日印原子 力協定に強く抗議・反対します。
在米韓国人団体は、12日の朴槿恵大統領退陣を求める100万人 のデモを革命前夜と伝えています。私たちはこの民衆のデモは大統 領の不正の発覚を契機に自然発生したものですが、解放後(戦後)、 数度の革命や民主化闘争を経て今に至るも、未だ植民地主義の残滓を清算できず、人間より経済優先になっている今日の韓国社会のあ り方を根底から見直し、変革していくべきだという主張になってい ることから、この民衆の立ち上がりを革命と捉えます。
特に注目すべきは原発立地地域のヨンドクにおいて、新旧原発の建設計画を地方自治体が禁じたことです。これは地域の民衆の声を反映さ せたもので、韓国全体のあるべき姿を先取りしたものだと考えます 。私たちは反核平和の立場から、民主、人権を唱え、大統領候補に原発の輸出を中止する政策を明 確にすることを世界の民衆と声として訴え、新しい大統領の下で脱核宣言を世界に公表するように働きかけます。
2016年11月12日
日韓反核平和連帯
日本側代表 木村公一
韓国側代表 柳時京
日韓統合事務局長 崔勝久
日韓の連帯についての私見
返信削除韓国に対する報道、情報が多くなるにつれ、韓国の事態を外在的に捉えることになり、連帯の質を求め、共通の歴史的な課題は何かという緊迫した、自分に関わることという認識がなくなっていくようにかんじます。共通の課題とは、歩んできた歴史の違いをあえて見ず、問わず、共通の階級的な視点のみをもって連帯を唱えることではありません。
植民地支配の清算がなされないまま現在に至り、変容・変質した現在の植民地主義の下に生きる私たちが両者の置かれた歴史を無視したまま連帯などを語ることはできません。朝鮮戦争の終結(米朝の平和条約の締結)、日朝の国交(形式的、国レベルでは、これで日本の過去の植民地支配の清算が終わり、改めて変容・変質した植民地主義に対する、今進行している問題に対峙することになります)が解決されなければなりません。
従って、拉致問題の解決を歴史的な植民地支配の解決と別にすることは過ちであり、そのような視点を欠如したまま、北朝鮮への制裁だけが優先する思考からはなにも生まれず、日本の国内的にはますます排外主義が強まり、ヘイトスピーチも増えるでしょう。ヘイトスピーチの制裁だけに焦点を当てた運動論はその意味で、私は誤りだと考えます。制度化された差別を直視し、植民地主義とはなんであったのか、今なんであるのかを深く考察されないところからは、日本の未来の展望は困難であろうと予測します。
私たちの反核平和を唱える運動は、戦後の世界観としての経済優先主義、核兵器による大国の世界支配(安全保障という名目のもとで)を新たな植民地主義と捉え、そのもとで実際に原爆と原発の被害を目撃した世代として、人類の滅亡の危機を訴えながら、核兵器と原発をなくすことを実践していく、国境を超えた、市民中心の運動なのです。
韓国の今はじまった革命の息吹の中に、反核平和の重要性が市民の中で生まれないのであれば、それは新たなナショナリズムによるうわべだけの変革に終わり、解放後の、革命と民主化闘争を経ても実現できなかった韓国社会の課題の解決には至らないものになるでしょう。
崔勝久