思いを代表するものでした。ここにご本人の承諾を得て、公表させていただきます。 崔 勝久
8/4の日本側発題 吾郷健二
テーマ:戦後日本における核をめぐる歴史的現状とその問題点について
具体的には、次の4つの問題提起:
1 ヒロシマ、ナガサキで被爆した日本でどうして54基もの原発を(沖縄を除く)各地で作るようになったのか。原爆(核兵器)の経験がありながら、核発電(原子力発電と用語を使い分けてごまかしてきた)を作ることを決定した政府に対して、なぜ、日本人はそれを受け入れてきたのか。
2 フクシマでの原発事故を経験することによって、国民の6割以上が原発に反対していると報道されているが、その日本人が選挙になると、原発の再稼働を推進する現(自公)政府を選ぶのはどうしてか。
3 再稼働に反対しながら、原発輸出に関しては、日本国内では、旧民主党をはじめ、国民の中だけでなく、原発再稼働に反対する市民の中でも大きな反対運動にならなかったのはなぜなのか。
4 原発体制の構築と戦後の日本経済の発展との関係、そしてそのことと日本人全般における歴史認識の脆弱さとの関係はどのように考えられるのか。
1 人類最初の原爆投下を経験した日本でどうして人々は54基もの原発建設を許してしまったのか。
原発大国への道(若干の歴史的クロノロジー):
(1)1945年8月、広島、長崎への原爆投下(核の軍事利用)
(2)1953年12月、アイゼンハワー「平和のための原子力」演説(核の平和利用を謳った)。核の軍事利用を維持し、正当化し、平時化するためのもの。つまり、核の軍事利用の隠れ蓑としての平和利用(我々がこの両者の本質的な不可分な関係に気がつくのには、半世紀以上という長い年月とフクシマの惨劇が必要だった)。
(3)これを受けて、核(原子力)の平和利用なるものが世界的に推進。日本:1955年12月、原子力基本法(欺瞞的な「民主・自主・公開」の原子力三原則制定)。
(4)商業用の原子力発電所第1号は1966年7月(電力各社が出資して作った日本原電(株)の東海発電所)。
(5)1970年代以降、日本における本格的な原発建設が始まる。(1970年11月、関西電力美浜発電所1号炉営業運転開始。大阪万博に送電され、「輝かしい未来のエネルギー:原子力発電時代の到来」を強く印象付け)。
(6)1973年11月、オイルショック(石油代替エネルギーとしての原発の重要性宣伝)。
(7)1974年6月、電源三法成立(国家資金が大規模に原発建設に投入され、いわゆる国策民営の原発推進政策が確立)。
(8)1975年時点で、建設された原発は10基(530万kW)に拡大(日本はソ連を除いてアメリカ、イギリスに次ぐ3番目の原発大国に)。以後略。
人々の反原発の戦い:
(1)初期(50年代)の科学者たちの慎重な意見(基礎研究を重視すべきで拙速な原発開発はすべきでない)。
(2)1954年3月のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による日本の漁船の被爆と(1名の)船員の死亡:戦後日本の平和運動の中心をなす原水爆禁止運動を誕生させ、大きく発展させた。
(3)原発建設の歴史には必然的な事故やトラブルによる原発稼働率の低さ。アメリカの原子力潜水艦の放射能漏れ事件の発生など。
(4)原子炉の安全性が疑問とされはじめる。
(5)70年代に入ると原発反対の住民運動が各地で勃興。
(6)原子力船むつ漂流事件(1974年9月)。
(7)1979年3月28日、アメリカのスリーマイル島原発事故(当時係争中の伊方原発訴訟を中心とする反原発運動を大きく活性化)。以後略。
敗北の要因:根底にある日本人の科学技術信仰
様々な理由(特に権力と支配に関わる理由)があるが、ここでは、特に、根底にある大衆としての日本人一般の科学技術信仰を問題にする。
科学や技術は人々の福祉に奉仕し、人類の進歩に貢献する基本的に「善」であるとする近代に特有な科学技術信仰が明治近代化以降、日本では津々浦々老若男女すべての日本人に浸透している。核(原子力)に関しては、その軍事利用による災害を被った日本においては、むしろそれがゆえにこそ、逆に、その平和利用に関しては科学技術信仰は強まったとさえ言えるかもしれない。悪いのは、科学=原子力(核分裂や核融合)そのものではなく、人間によるその利用方法なのだ、と(科学の中立性命題)。このことを何よりも如実に示すのは、日本の反核運動(原水爆禁止運動)が決して反原発運動にならなかったこと(否、むしろ原発容認勢力になっていたこと)。
この信仰は、人々のいわゆる「専門家」への無限定な信頼・委任に繋がっていくが、我々は人々のこの信仰とどう効果的に戦うのか、という課題を課せられている。
2 日本人はなぜ、過半数の人々が原発再稼働に反対しているのに、原発再稼働推進の現安倍政権を選挙で選ぶのか。
その諸要因:
(1)日本における選挙の投票率の低さ。多くの日本人(特に若者)が政治を自分たち自身のこととみなさず、政治に関心を持っていない。その意味で、日本では、民主主義社会における公民たるにふさわしい「主権者たる自立した市民」が育っていない。
(2)教育における愚民政策。その結果、日本では人々の間で日常的に政治討論や政治行動を真面目に行う風土が育っていない。これには、教育の責任(教育のあり方の問題)が甚だ大きい。
(3)官僚支配と対米従属(支配者が戦前の天皇から占領中のアメリカに変わっても、そして日本の形式的独立以後も、明治以来の官僚支配の機構は永続)(白井聡「永続敗戦」)。一般大衆は、アメリカと仲良くしていれば、日本は安泰である(アメリカが日本を守ってくれる)、日米同盟こそ日本の根幹であると思い込んでいる。
(4)目先の利害(「今だけ、自分だけ、金だけ」)。民主主義社会における主人公の役割を与えられていない(持ち得ていない)日本の大衆は、したがって、社会における自己と自己の役割ではなく、日常生活(仕事と家族)における自分自身の利害にしか関心を持ち得ない状況に置かれている。21世紀に入ってからの日本大衆の日常生活における最大のテーマは、経済苦境。
(5)権力による巧みな争点隠し。安倍政権がその本質としての右翼戦前回帰のイデオロギーを選挙においては徹底的に隠し、経済重視(経済第一)を選挙キャンペーンの前面に掲げ、アベノミクスなる欺瞞のキャッチフレーズで人々にアピールしたのは、この状況を熟知していたからである。国民の支持が得られにくい原発再稼働は、政権によるマスコミ支配のメカニズムも働いて、完全に選挙の争点から外され、脱落していた。
(6)要約するに、日本人は、安倍政権に原発再稼働の同意を与えたなどとはさらさら自覚していない。だが、もちろんそれは日本人の国民としての愚かさの表白以外の何ものでもない。
3 再稼働に反対しながら、原発輸出に関しては、日本国内では、旧民主党をはじめ、原発再稼働に反対する市民の中でも大きな反対運動にならなかったのはなぜなのか。
日本における運動の一国主義的視野
一般民衆や旧民主党については触れないとして、反原発(脱原発)運動体に関しては、二つの問題:力量不足と一国主義的視野。
特に後者に関して。日本人の常として、運動体やその担い手の人々の視野が国際的領域にまでは広がっていないのではないかという疑問がある。日本人の認識枠組みが基本的に一国主義的(国内主義的)で広い世界的な視野を欠いている、たまに海外に目を向けることがあってもせいぜいアメリカしか見ていない、という戦後日本人の物事を認識する際の視線のあり方が問題の根源にあるのではないか。
そうであるならば、なおさら、私たちの日本の原発輸出反対の国際連帯運動の構築という課題の意義は非常に大きい。
4 原発体制の構築と戦後の日本経済の発展との関係、そしてそのことと日本人全般における歴史認識の脆弱さとの関係はどのように考えられるのか。
根底に横たわる日本人の科学技術信仰と経済発展(経済成長)信仰
=歴史の(無限の)進歩への信仰
原発体制の構築が戦後の日本経済の歴史的発展と深く関わっていることは明白。日本の戦後の経済的復興の端緒を与えたのが朝鮮戦争(韓国戦争)によるいわゆる「特需」であったことはよく知られた史実。その後の高度成長とともに、原発の導入と建設が始まった。冒頭に述べた日本人の科学技術信仰の背後にあるのは、経済発展(経済成長)こそが人類の無限の進歩と発展の基礎にあるものだという近代日本人の信念である。
それにプラスされたのが、資源小国の日本、石油を持たない日本におけるエネルギー問題をどうするかという問題の立て方。原発はそれに対する最良の答えと見なされた。あまつさえ、日本では、原発は日本の国産資源だとさえ言われた。
日本人の科学技術信仰と経済発展(経済成長)信仰=歴史の(無限の)進歩への信仰こそが地震列島日本における54基もの原発建設という原発大国への道の根底に横たわるものであり、それがまたアベノミクスなるありえない幻想の「経済成長<神話>」を根底において支えているものである。
我々は、歴史的に破産してしまった資本主義の「経済成長」=発展<神話>に取って代わる「脱成長」というオルターナティブな社会・経済システムを構想し、その具体的なイメージと客観的な裏付けとを構築しなければならない。
日本人の歴史認識:丸山真男「歴史意識の古層」
日本人の歴史認識に関して言えば、私は、日本人には、哲学的な思考法(ラジカル=根源的な思考法)が完全に欠けていると考える。そのために、戦後の日本において、敗戦の大カタストロフィに至る日本近代化の「歴史の(総体の)総括」は全くなされていない。いかなる総括もなく、ただ、「軍部の暴走」で全てが片付けられ、天皇の責任も問われることなく、翼賛体制に積極的に貢献した政治家、官僚、財閥、学者・知識人、ジャーナリスト、司法、全てが免責され、国民一般もまた被害者意識に囚われるのみで、自らが天皇制ファシズムと軍国ナショナリズムの積極的な担い手であったことなど、まるで忘却しさった。
端的に言って、日本人には、先にも述べたが、「民主主義社会における主権者」たる「主体としての責任ある個人」の存在が完全に欠けていると私は考えている。だから、民族の総体として、出来事(歴史)に対して哲学的思考(根源的思考)を遂行することができず、全てがうやむやに「水に流されていく」。
政治学者丸山真男は、日本語の「なる」という言葉から、日本では古代から「物事が次々と自然になりゆく」のであって、歴史を駆動させる主体というものが見られない、非常に際立った特徴があるとして、このことを首尾一貫した日本人の「歴史意識の古層」とか、「バッソ・オスティラート」(執拗低音)とか、呼んでいる。評論家加藤周一も似たようなことを言っている。作家堀田善衛は、1945年3月18日の東京大空襲に際して、焼け野原の視察に来た天皇に向かって、人々が「土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、・・・」と言っているのを(つまり、大破局の責任のありかの奇怪な逆転を)仰天して聞いて、これを「無常感の政治化」の状況だと呼んだ。
「絶望という抵抗」と新たな希望
私は今日少し悲観的な話をしたかもしれないし、確かに今日の日本の政治状況はいささか絶望的とも言える。しかし、作家辺見庸が「絶望という抵抗」と表現しているように、私自身は実はそれほど絶望的でもない。今日の日本における下からの民衆の立ち上がりはかつて見られなかったもので、敗戦直後の状況にある程度似ているが、何よりも、自立した個人の、多様で、全国的で、自由な運動である点で、それは戦後の左翼運動とは本質的に異なっている。これは大きな希望だ。
さらに世界には、我々よりははるかにもっと困難な絶望的な状況で戦っている人々がたくさんいる。彼らに比べれば、日本の状況は、どんなに絶望的な政治状況に見えても、はるかに希望が持てる。
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