澤野さんが紹介されたコスタリカにおける原発違憲論に注目しています。
伊方原発をとめる会事務局長の草薙順一弁護士が発表された「原発と憲法」(2012年8月29日(水)於 松山市)にもそのことが触れられています。
今までの原発訴訟では、憲法9 条が議論にはならなかった。原発と「戦力」とはかけ離れすぎていると考えられていたからである。
1 原発違憲論が意識的に論じられなかった理由
原発は、安全で人類の福祉に貢献し、平和目的であるという論が奏功し、学術会議、原水禁世界大会、被曝団体、広島市長なども受け入れ、原発の将来可能性を期待した。原発訴訟においても、人権侵害論にとどまり、原発違憲論が本格的に議論されなかった。原発政策が日米同盟政策の一環であるとの認識も少なく、原発が9 条の「戦力」に該当して憲法違反という学説もなかった。
2 憲法の基本理念に違反している
憲法の基本理念は、基本的人権の尊重、非武装平和主義、民主主義(国民主権・地方自治の尊重)である。原発は特定の憲法条項にとどまらず、憲法総体を否定した存在である。
違法視されなかった原子力基本法も違憲性が明確になってきたと言える。
草薙さんは原発違憲論の意義を以下のように主張します。
1 国内的意義
原発禁止の法律・政令・条令の制定が合法化できる(原発禁止法の制定)。現存の原発の稼働は許されず、廃止すべきことになる。原発事故の責任追及(刑事責任・民事責任)がより可能となる。
2 国際的意義
原発が違憲であるならば、原発の輸出は出来ない。更に原発は、国際人道法における犯罪としての主張ができる。
これはまさに私たちがメーカー訴訟において主張した内容と一致します。
2016年3月23日水曜日
どうして私たちはメーカー訴訟をはじめたのかー原発の製造及び輸出は憲法違反を主張
http://oklos-che.blogspot.jp/search?updated-max=2016-03-28T07:03:00%2B09:00&max-results=7
つまり、これまでの原発の稼働の禁止を求める裁判は、基本的には人格権に基づく主張であり、メーカー訴訟における原告弁護団の「ノーニュークス権」の主張も同様です。目の前の危険から再稼働の禁止を求めるための裁判闘争に大いなる意義があるのですが、長期的な展望を明確にするという意味では、私はこれからは、原発違憲論を掲げた原発禁止法の制定に向けた闘いを目標にすべきだと思うのです。そのために、コスタリカの例は大変、参考になるものと思われます。
アイルランドに滞在中の選定当事者の一人、土田久美子さんがFBに投稿されました。
コスタリカ大学で学んだコスタリカ人のアレハンドロさんが言うには、コスタリカは1940年から、水力発電を使っているとのこと・・。更に、風力発電を利用し、太陽エネルギーを国民が注目し、原子力を使わないし、更に原子力を信じていないとのこと・・。コスタリカでは国民の憲法意識が高いことと、更に、自然を特に大切にされている為、自然を基調にして、物事を価値判断する意識が高いと感じます。
澤野さんの『脱原発と平和の憲法理論』から、コスタリカ政府がウラニウムやトリウムの析出、核燃料の製造および核反応機の製造を認める政令を制定したことに対して、市民が提起し、当法法令を違憲訴訟を起こし、同国の最高裁憲法法廷2008年、当法法令を違憲無効としたことは、私達原発メーカー訴訟裁判にあてはまることがあると私も感じます。多いに参考にさせていただきたいです。多くの人々にこの情報を拡散しましょう!!!
コスタリカ最高裁憲法法廷判決における原発違憲論
澤野義一著『脱原発と平和の憲法理論』30頁
コスタリカ政府がウラニウムやトリウムの析出、核燃料の製造および核反応機の製造を認める政令を制定したことに対して市民が提起した違憲訴訟において、同国の最高裁憲法法廷は2008年、当法法令を違憲無効とした。そこにみられる原発違憲論は、日本国憲法下での原発違憲論を考えるさいにも参考となる。
というのは、コスタリカ憲法には日本国憲法と同様に原発を禁止する明文規定はないが、当該法廷は、非武装平和憲法(12条)の解釈から、原発違憲論を導き出しているからである。
コスタリカの原発違憲判決についてー澤野義一教授の見解
『脱原発と平和の憲法理論』(法律文化社 2015)
コスタリカの判決は、核燃料の製造を可能とする政令に対しての違憲判断です。さらに、判決は、核反応器の製造を可能とすること(政令)も違憲としています。これは私の本の30頁に書いてあります。したがって、原発の製造や稼働が違憲となるでしょう(59頁も参照)。そこから、判決は原発違憲論を導き出き出している、というのが私の解釈です。判決自体は、原発は違憲というものではありませんが。
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