2016年1月25日月曜日

事前に公開します:陳述内容の追加ー原発過酷事故に起因する精神的損害の賠償責任は原発メーカーに

1月27日の口頭弁論における陳述
1月27日は東京地裁で第3回目の口頭弁論が開かれます。その日は原告弁護団の島弁護士の第3準備書面の説明と、本人訴訟団からは日立の現役社員で「訴訟の会」朴鐘碩事務局長の陳述があり、私は本人訴訟団の事務局長として第1準備書面の内容とその追加説明を陳述します。

この追加説明は、被告弁護団が答弁書と準備書面を提出し、原告弁護団と本人訴訟団の主張に徹底的に反論し、主張の棄却を求めてきた経緯があり、次回の口頭弁論までに反論の準備書面を裁判所に提出するのですが、その大まかな方向性を記しました。事前に公開します。

相当因果関係とはなんでしょうか
被告弁護団は私たち本人訴訟団に対して、私たちの精神的損害(苦痛)は原賠法で定義された原子力損害には当てはまらないという主張は、「論ずるまでもなく、原告らの請求は、速やかに棄却されるべきである」と結論づけています。つまり、原告らの主張する精神的損害は「本件事件と相当因果関係のある法的保護に値する」ものであるかと問うのですが、「相当因果関係」とはなんでしょうか。それは何によって証明されるのでしょうか。またその基準は何に基づいてつくられたのでしょうか。基準以下の場合、相当因果関係はないとみられるのでしょうか。

一定の限られた範囲であれば、原子力損害も精神的損害も同じであり、それは原賠法による賠償の責任範囲であり、そうすると原賠法はメーカーは免責としているのだからメーカーの責任は問えない、という結論になります。そうでないならば、そもそも民法709条やPL法に基づく請求は認められないというのです。つまり原賠法を軸にして本人訴訟団を追い込む論理のつもりのようです。

3・11の福島の原発過酷事故に起因するものであることはいうまでもないのですが、直接・間接的に過酷事故起因する案件は福島だけでも5年たった今毎日300件を超すとのことです(朝日新聞 「矛盾抱える原発賠償」2016年1月25日)。

基準、それは差別化のための恣意的なものです
結局それは福島だけでも一定の限られた地区とそうでない地区との区別をして補償金の差をつけるための基準ということであり、それはIAEAの基準に追従し状況において恣意的に変えてきた放射能の線量の基準なのです。基準値以下であっても安全ではないことがわかってきた今日、福島事故に起因する精神的損害は、福島だけでなく日本国内で遠く離れた地域や海外においては原賠法は適応のしようがないのです。

訴状における5つの原告の分類
原告弁護団の訴状では福島を中心に同心円状に国内で3つ、海外では原発の設置された地域でそうでないところと5分類しています。その精神的苦痛は金銭で換算すると一人100円になると記しています(訴状64ページ)。ですからすべての原告は100円の精神的損害の賠償金を被告メーカー3社に共同不法行為として請求するということになります。それに対して東芝は答弁書において「原告ごとの個別的な主張立証がなされていない」という批判をしています。

参考資料:
原発メーカー訴訟の現状を報告します 
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/01/blog-post_19.html

法廷で陳述される内容を事前に公表しますー原発メーカーの責任について

http://oklos-che.blogspot.jp/2016/01/blog-post_16.html
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2014年(ワ)第2146・5824号 原発メーカー損害賠償請求事件
 原告 朴 鐘碩、崔 勝久ほか
 被告 株式会社東芝 ほか

第 1 準 備 書 面 の 陳 述 内 容 の 追 加
(1~2頁の「原告弁護団との関係について」、「「相当因果関係がある損害」の範囲について」の追加、その他は部分的修正)

                      2016年 1月27日

東京地方裁判所民事第24部D係  御中

選定(当事)者  崔 勝久 印


はじめに
私は、今回、世界で初めて原発メーカーの責任を問う本件訴訟を提起し、全世界39ヶ国から約4000人の原告を集めた「原発メーカー訴訟の会」の前事務局長です。この度の裁判は世界の人々が注目しております。朝倉佳秀裁判長の公正なる判断をお願い致します。

原告弁護団との関係について
私たち本人訴訟団は、原発メーカーの責任を問うということでは原告弁護団と同じで、訴状の基本的な趣旨には賛同します。しかし私たちは弁護団とは異なる視点からメーカーの責任を問います。そのことで弁護団と対立することはありません。互いに共通するのは、世界中に広がる39か国4000の原告からの精神的苦痛(損害)の訴えの件です。被告メーカーに対してそれぞれ賠償金を請求していますが、被告はそのことを強く否認し私たちの主張の棄却を求めています。

「相当因果関係がある損害」の範囲について
私たちは「精神的損害」は原賠法に記された「原子力損害」の定義には当てはまらないと主張します。原賠法では「原子力損害」を「放射線の作用若しくは毒性的作用・・・により生じた損害」と定義しているからです。ですから私たちは、原賠法を介さずとも、民法709条の不法行為と製造物責任法の欠陥により、被告原発メーカーは原発の過酷事故の責任を問われるべきであると考えます。

しかし被告弁護団は、精神的損害も原子力損害であると主張します。原発事故との「相当因果関係がある損害」に限定し、その範囲内においての賠償は民法とPL法と原賠法は実質同一であるとして、原賠法に基づき被告の免責を主張します。

その限定によって作られた基準が福島の人たちの中でも大きな問題になっています。補償金額と関係するからです。放射能の海水濃度の問題や基準値以下の放射能低線量が人体に及ぼす影響が明らかにされていますが、現在、IAEAの基準を下敷きにしてどんどん具体的な政策が実行されてきています。しかしそれはいかなる意味においても「安全の保証」を意味しないのです。

科学的に決着つかない基準を根拠に政策が決定され制度化されている現実の中で私たち一般市民がやれることは限られています。私たち自身が実際の「不安」と「恐怖」による精神的損害を訴えることしかありません。現在は精神的損害に対して賠償をするのも原子力事業者になっていますが、私たちは原賠法の原子力損害の定義に従い、過酷事故に責任がある被告メーカーに精神的損害の賠償責任があると考えます。私たちの訴えは、日本国憲法前文、世界人権宣言などにより法的に保証されていると確信します。

私たちの提起した精神的損害と被告メーカーの責任の問題は深く検討されなければなりません。実質的に破綻している原賠法の「責任集中」制度であるにもかかわらずから、恣意的に原子力損害の定義をまったく逆の意味にしてしまいメーカーの免責を主張するのは許されません。疎外された福島の人たちや世界の市民の訴えを切り捨てるべきではありません。私たちは当事者の意向にかかわりなく設定されたその基準と範囲の正当性及びそれを支える法律の解釈を問うことになるでしょう。製造物責任法の時効の問題とあわせ、この点は準備書面で主張します。

原発ビジネス契約の「公序良俗」違反性について
本来、原発の当初の目的はエネルギー政策として日本国内でも広く受け入れられていました。しかし世界的には30年で3回もの過酷事故があり、特に今回の福島事故の悲惨さをリアルタイムに目撃した全世界の人たちは、原発そのものの危険性を痛感するようになりました。一度事故が起これば長期にわたって取り返しのつかない規模で悲惨な災害になることを経験し、これまで信じ込まされていた原発の安全神話が嘘であったことを知りました。

地域社会の住民に過酷事故の可能性とその悲惨さを伝えることなく原発を計画・製造することは今日では反社会的であり、原発事業者と被告原発メーカーの間で締結された原発製造のビジネス契約そのものが公序良俗に反します。海外に原発を輸出するビジネス契約もまた同時に、反社会的であり公序良俗に反します。公序良俗に反するビジネス契約は無効です。

原発の過酷事故について
原発の開発の歴史、軽水炉原発の発電の構造からして、過酷事故を完全に回避する技術の確立は不可能です。軽水炉原発は火力、水力発電に価格的に対抗するために設計され、限られたスペースの中で、想像を絶するエネルギーを生み出す原子炉の熱の冷却のために、とてつもなく長く設置された配管と大量の水を使わなければなりません。そこに軽水炉原発の原理的な欠陥があります。
それにもかかわらず原発建設は進められ、日本でも再稼働がはじまり、2030年までにアジアは全世界の原発の半分を占めるようになるとされています。中国、インド、日本、韓国だけでなく、発展途上国にまで原発建設が進められるでしょう。その原発の製造及び輸出の世界の最先端の働きをしているのが、被告原発メーカーです

精神的損害について
 私たちの受けた精神的損害とは、被告弁護団が言うような「単なる不安感」として軽視して済むような問題では決してありません。「不安」と「恐怖」は単なる主観的危惧や懸念にとどまりません。近い将来、現実に生命、身体及び健康が害される蓋然性が高く、その危険が客観的に予測されることにより健康などに対する不安に脅かされるという気持ちは、もはや社会通念上甘受すべき限度を超えており、損害賠償の対象となるべきものなのです。

精神的損害は被告原発メーカーの民法上の「過失」、製造物責任法の「欠陥」という不法行為と不作為による過酷事故によって引き起こされたものです。精神的損害として私たちが訴える「不安」「恐怖」、それは日本国憲法と国際法や世界人権宣言で謳われた基本的人権を侵害するものであり、「恐怖」「不安」からの自由の実現は、人類の歴史的な課題なのです。日本国憲法の前文は高らかに謳います。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

精神的損害は精神だけにとどまらず、肉体をも蝕み、その「不安」と「恐怖」を免れるために多くの人は放射能の危険性のより少ない地域への移住を試み、
住宅や就職、そして子供たちの教育の問題にまで影響をあたえます。その精神的損害の影響は一世代にとどまらず、数世代にまで及ぶのです。また、その放射能汚染についての「不安」と「恐怖」は地域を越え、国境を越え全世界に広がります。
原発運転から不可避的に発生する放射性廃棄物は、何万年にもわたって、後世の環境と生物と我々の子孫に影響を与え続けます。放射性廃棄物の処理と安全な管理は現代科学が保障できるものではありません。原発による精神的損害は私たちの想像を絶する期間、規模にまで及ぶことになり、もはや原発の製造及び輸出は人類に対する罪悪であると言わざるをえないのです。

精神的損害をもたらす客観的に事実について
私たちは第一準備書面において、精神的損害をもたらす放射能の「不安」「恐怖」は単なる「不安感」ではなく、さまざまな具体的、客観的な理由によって生じたことを詳しく説明しています。それらの精神的損害は2011年3月
11日の福島の事故原発によって引きおこされたのであり、そこに原発の計画、設計、製造、メンテナンスに関わってきた被告原発メーカーに責任があることは明らかです。
 精神的損害に結びつく要因をまとめてみます。
・安全神話が嘘であったことが判明したことに対する「不安」と「恐怖」
・汚染水の流出が太平洋に流れ出ている現実に対する「不安」と「恐怖」
・原発の再度の過酷事故による被曝に対する「不安」と「恐怖」
原発から排出される放射能に対する「不安」と「恐怖」
・低線量放射線による内部被曝の問題
・使用済み核燃料など放射性廃棄物の保管の問題
・原発の存在そのものが人類、自然とは両立しないということについて
原発が潜在的核兵器保有として安全保障政策に組み込まれたことについて

過酷事故がおこらなくとも、原発の運転そのものから核の分裂によって放射性物質が大気、海水中に放出されてきました。原子力発電というものは、1トンのウランの核分裂で1トンの核分裂生成物を発生させます。1基が1年ごとに広島原発の1000発以上の核分裂生成物を発生させるしくみになっています。福島における過酷事故の影響を身近に感じ、放射能が拡散されている実態が広く知られるようになり、一般の人が放射能の影響に対して「恐怖」と「不安」を感じ精神的損害を訴えるのは当然のことであります。

原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ために
原発事故を「人類の歴史の中で繰り返さない」ためには、既存の原発の廃絶、新たな原発の建設の中止、輸出の禁止をするしかありません。過酷事故を絶対に起こさないと保証できる技術は確立されていないからです。

日本が実際に核兵器を持たなくとも、いつでも核兵器を作り出せるように潜在的核保有国として原発を稼働し続けることは、原発による潜在的な核兵器をもつことです。「原発が安全保障に資する」ことは2012年に原子力基本法に明記されました。しかし日本国憲法9条は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っています。

原発体制は全世界的な差別構造の上に成り立っています
原発体制は基本的に全世界的な差別構造の上に成り立っています。その差別は、ウランを採掘する被曝労働から始まり、原子炉の中で働き被曝せざるをえない原発労働者の存在、都会に電力を供給するために原発立地地域になった地方と都会における搾取と差別の構造、核を持つ国と持たざる国との差別のうえに成り立つNPT(核不拡散条約)体制の存在に示されています。
さらに、NPT体制は核兵器の縮小を議論しながら原発を輸出し拡散することを認めており、その中にあって日本は潜在的核保有国としてアメリカの核の傘下にありながら原発を製造・輸出する世界最大の供給国になっています。被告3社は原発を世界に広めようとする世界最大級の原発メーカーです。まさにこの3社の動向が今後の原発体制の行方を決定すると言っても過言ではありません。

被告原子力メーカーの企業としての社会的責任を問う
被告原発メーカー3社は福島原発の計画・設計・建設及びメンテナンスに関わっていながら、各会社の広告やHPにおいても、原発の過酷事故の可能性、危険性を人々に知らせず安全・廉価・クリーンであるという安全神話を宣伝し続けてきました。何重にも作られた防御施設によって事故はおこらないと言い続けてきたのです。私たちが被告原子力メーカーの企業としての社会的責任に対する姿勢を強く疑問に思う所以です。

被告は自らが密接に関わってきた原発が過酷事故を起こし大気と海中へと放射性物質を放出して地域住民の健康を害し自然を汚染してきました。私たちは、その過酷事故は被告原発メーカーの犯した不法行為によるものであり、そのことによっていかに全世界の原告の精神的障害をひき起こしたのかを法廷内で明らかにして、被告の法的責任を追及します。

最後に

私たちは3・11の原発事故の事故原因、その責任を徹底的に追及し、二度とこの世界で原発事故を起こさせてはならないと考えます。原発の過酷事故と通常運転から不可避的に発生する放射能の影響は長期間、全世界的な規模で多くの人々に「不安」と「恐怖」を植え続けます。メーカー訴訟において裁判所が具体的に被告原発メーカーの責任を明らかにし、被告メーカーに社会的、法的責任があるという歴史に残る勇気ある判決を下してくださることを願ってやみません。ここから新たな歴史が始まります。

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