2015年12月24日木曜日

クリスマスイブのメッセージーー絶望のなかで「日立闘争」勝利の意義を問う

今日はクリスマスイブです。この日のメッセージの内容をどうするのか悩みましたが、私は、原発体制に抗う、福島事故を起こした原発メーカーの責任を追求する訴訟がようやく今年になって口頭弁論が始まり、来年、本格的な裁判闘争になることを踏まえ、原発は歴史的にそして国際的に差別の上に成り立つということを在日の立場から主張してきた者として、在日の自立を求め1970年代に、当時当然視されていた在日の就職差別に闘いを挑んだ、日立就職差別闘争の勝利の意義を取り上げたいと思います。

原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団の金信明さんが日立闘争のスライドをユーチューブにあげ、以下のような詳しい説明をしてくれています。https://youtu.be/pnBxLulUp9I


日立就職差別事件とは
在日朝鮮人である朴鐘碩さんは日立製作所から国籍を理由に、1970年採用を取り消され横浜地方裁判所に提訴し、74年完全勝訴しました。
朴鐘碩さんは、1951年愛知県西尾市で9番目の末っ子として、貧困家庭で生まれました。日本の公教育を受け、韓国語も話せない、韓日関係の歴史はもちろん、朝鮮名の読み方さえ知らない、日本人化した在日朝鮮人のひとりでした。彼の兄、姉は、鉄屑業、タクシ-運転手、水商売などで生計を立てました。当時、日本企業の朝鮮人に対する「就職差別」は日常茶飯事でした。


「朝鮮人は、なぜ企業に就職できないのか」と高校生の時に悩みましたが、「ひょっとしたら実力さえあれば合格するかも知れない」と、私はかすかな希望を抱いていました。
卒業後、出生から使用していた日本名の新井鐘司で日立製作所の中途採用試験を受け合格しました(19709)が、「韓国人である」と明かすと採用を取り消されました。
朴鐘碩さんは「納得できない。諦めるわけにはいかない」と日立を提訴する決断をしました。この決断は、「自分は一体何者か。どう生きればいいか」を問い、日本人化した彼の価値観を自ら否定し、人間としてあるがままに生きることを覚悟したようなものだったと彼は語っています。

朴鐘碩さんは採用を取り消された後、横浜駅西口で入管闘争のチラシを配布していた慶応大学の学生に出会い、「日立から採用を取り消された」事情を話すと彼らは弁護士を探しました。引き受けた弁護士は、「労働事件の新判例をつくる」という意気込みでした。日立製作所を訴えたのは、彼が19歳の時でした(1970128)。事件は、「われら就職差別を背負って ボクは新井か朴か」と『朝日新聞』(1971112)で報道されました。
日本人・韓国人の青年たちが中心となって裁判を支援する「朴君を囲む会」がつくられました。

民族組織は、「この裁判は在日朝鮮人の日本人化を促進する」と批判しました。当時「民族」が重要視され、在日朝鮮人青年個々人の生き方に関わる問題の差別を打破し、日本社会で生活する権利を獲得しようという意識はなかった時代でした。
朴鐘碩さんは「同(日本人)化した私は、自分が一体何者かわからず、暗い閉塞された状況から何とか抜け出したい気持ちでした。既存の民族の枠、あり方では自らを捉えきれず、悩んでいました。同じように生き方に悩む韓国人青年、日本人・韓国人の両親を持つ『混血』の青年、学生運動が陰り始めた20前後の日本人青年たちがこの事件に関心を示し、自らの生き方を問いながら共闘したのです。」と現在語っています。





当時、裁判支援組織「朴君を囲む会」の呼びかけ人のひとりであった在日大韓基督教川崎教会の牧師は、WCC・世界教会協議会のPCR(Programme to Combat Racism)の責任者でした。PCRは、この裁判を黒人の人権・差別問題など世界の少数派の闘いの一環として受け止め支援しました。

70年代の韓国は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の軍事独裁政権に対して、学生たちが民主化を求めて立ち上がった時期でした。同じ本人訴訟となった原告崔勝久は、当時ソウル大学に留学し、韓国の学生たちに日立の就職差別を訴えました。学生たちはそれを受けて、「日本国内での韓国人同胞に対する差別待遇を即時中止せよ」と「反日救国闘争宣言」を発表し、これを『毎日新聞』(197415)が報道しました。

74年に、韓国では民青学連事件が起こり学生たちは拘束されましたが、学生の宣言に共鳴して韓国キリスト教長老会女信徒会のオモニ()たちは、日立製品の不買運動を決議しました。WCCも日立製品不買を決議し、アメリカでは公民権運動のリ-であったキング牧師の思想を引き継いだ牧師たちが、日立アメリカに抗議をしました。
こうした民族・国境を越えた日立の民族(就職)差別への抗議運動が展開される中、7312月には、東京・丸の内にあった日立本社で経営陣に対して民族差別の告発と糾弾をする直接交渉が始まり、連日にわたり夜遅くまで続きました。

◎就職差別闘争完全勝利
日立の差別を完璧に暴露したのは、7448日、4回目の直接交渉の席で出されたマル秘文書です。日立の採用責任者は、裁判が始まって間もない711月、共産党、民青等の思想的偏向者、熱心な創価学会員、精神・肉体異常者は雇わない、外国人も積極的に雇わないことを決めていました。74515日、衆議院法務委員会で公明党議員がマル秘文書及び朴鐘碩への就職差別を追及(72国会、衆院法務委議録第28)し、この差別文書は公開され国会で問題になりました。

日立経営陣への糾弾闘争は、韓国の政治状況に関わることにこそ存在意義があると主張していた民団(在日本大韓民国民団)在日韓国教会の青年たちも日立闘争に対する姿勢がしだいに変わり、日立本社糾弾闘争に参加するようになりました。
そして1974517日、ついに「世界の日立」は屈服し、判決を待たずに「朴君を囲む会」と日立製作所との間で「日立が朴君を民族差別し続けてきたものに他ならないことを認め、日立は責任をとる」、「日立製作所は、今後、このような民族差別を二度とくりかえさぬよう、責任ある、具体的な措置をとることを確約します」という二つの確認書が取り交わされました(朴君を囲む会編『民族差別日立就職差別糾弾』亜紀書房、1974年、118119)

確認書締結から1ヶ月後の619日、横浜地裁は原告勝利の判決を下しました。判決文は、「被告〔日立〕は、合理的な解雇理由がないのにかかわらず、原告が在日朝鮮人であることを理由にこれを解雇したのであるから、前述のとおり、労働基準法3条、民法90条に反する不法行為となることは明らかである」「在日朝鮮人に対する就職差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数の者から真面目に生活する希望を奪い去り、時には、人格の破壊まで導いている現状にあって、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前をもち、朝鮮人らしく振舞い、朝鮮の歴史を尊び、朝鮮民族としての誇りをもって生きて行くほかにみちがないことを悟った旨その心境を表明している」と、生き方にまで言及しています(同、279頁)。

この判決は、日立の控訴断念により確定し、韓国のマスコミは、朴鐘碩さんの「告発精神に学ぶ」(「社説」『東亜日報』1974610)と報道しました。
4年近い裁判闘争で民族差別の不当性を訴え、日立経営陣を糾弾し、国境を越えた運動により支援を受けた裁判で完全勝訴し、私は22歳で日立に入社しました。在日朝鮮人への差別・偏見に立ち向かい、常識を覆した日立闘争は「これで終わった」と思いました。


◎「原発メーカー訴訟」で再び日立等を被告として提訴
朴鐘碩さんは日立入社後職場・組合の民主化等に取り組みながら、定年まで勤め上げました。退職の時には百人近い職場の人々が花をもって退職を祝ってくれたそうです。そして、現在は週に3日、嘱託として日立で働いています。

2011年3月、福島第一原発事故が起こりました。それはちょうど朴鐘碩さんの退職した年にあたります。「原賠法」の免責条項があるからといって、原発メーカーが原発にこの責任を問われないのはおかしい。そう考えた朴鐘碩さんは、就職差別撤回闘争以来40年以上も彼と「児童手当問題」など在日外国人受ける不当な差別と闘いをともにしてきた崔勝久さんと話し合って、原発メーカー3社(GE・日立・東芝)を被告とする「原発メーカー訴訟」を提起し、「原発メーカー訴訟の会」を作りました。原告は世界39カ国4千名に及びます。そして、今は「選定当事者制度」を使った本人訴訟、「原発メーカー訴訟会・本人訴訟団」の「選定当事者」として、裁判に臨むとともに、「原発メーカー訴訟の会」事務局長として、精力的に活動しています。


日立闘争勝利の意義について
上であげた日立闘争は、在日の差別の闘いとして今でも日本の高校の教科書でも紹介されているそうです。しかしその視点はあくまでも差別はいけないという一般論の上で、その差別に勝利した例として書かれています。しかし在日にたいする差別を認めた日立は、もう二度と同じ過ちを犯さないと誓約したのですが、そもそも差別とはなんであったのか、裁判勝利後、日立に入社した朴くんが経験した日立の実情は、経営陣と労組が一体となり、労働者にものを言わせない、利益追求のためにノルマを課し、労働者は「社畜」として黙々と働くしかないというものであったというのです。

その日立が東芝、三菱重工とならんで世界的な原発メーカーであることはあまり知られていないようです。福島事故を起こした原発メーカーはまさに、この日立、東芝そして彼らにライセンス許与をした、世界ではじめて原発を開発したアメリカのGE(General Electric)です。

日立に入社して定年まで無事務めた朴くんが現在も嘱託として勤めながら、日立の経営者に原発事業からの撤退を求めているということ、そして何よりも世界で初めて原発メーカーを相手取り、原発が事故と通常運転において世界の市民に被害を与えていることを告発し提訴したということは何を意味するのでしょうか。

これだけ原発の恐怖が語られ、通常運転においても癌などの発病をもたらすといわれていても、福島の住民の問題がまだ解決されていないにもかかわらず、政府は電力会社と一緒になって再稼働を許可し、おそらくその再稼働の数はまだまだ増えるものと思われます。そしてますます原発輸出は加速されるでしょう。そして汚染水は完全にコントロールされているという嘘でオリンピック開催が決定した東京では、オリンピック、オリンピックとマスコミが騒ぎたてるでしょう。

原発立地地域においては原発産業に従事する人が多く、原発なくしては自治体は立ち行かないということで、あれだけの激しい闘いがあった九州の川内、四国の伊方、そして福井の高浜においても地方自治体が進んで再稼働を求めるしまつです。

「偽りの平和」が語られる中で、真実を求める声は消えゆくしかないのでしょうか。混乱が混乱を呼び、まもともな対話ができなくなっていくこの社会にあって、私たちは絶望のなかで押しつぶされていくのでしょうか。

私は絶望的に見える現実社会において、楽観的な救出策があるように思えません。闘えばいいのだ、一点突破するしかないという勇ましい声にも心が動かないのです。40年前の日立闘争勝利の意義、あのとき、私たちは10人に満たない青年たちが中心となって日立闘争をはじめていました。あの世界の日立相手に、自分の本名も知らず、民族意識の欠片もない奴が、民族差別はけしからんとは何事か、民族の問題は民主化や統一やもっとやることがある、そのような声に囲まれながら私たちは日立を相手の闘いをはじめたのです。

今思えば、私たちにどのような展望があったのでしょうか、何か、勝てる要素が見えていたのでしょうか。しかしそのなかで私たちが勝利したのだというのが、私のクリスマスイブのメッセージです。人間の判断や分析、意思だけでこの世のことが全て見えるわけではない、「混乱」のなかから真実が見えてくるという希望を持ち、やるべきことをやり抜く、その苦しみのなかにおいて真実を求め続ける、そして求め続けることのなかに希望を見出すのです。




4 件のコメント:

  1. 金信明様、朴さんの日立就職差別闘争をアップロードしていただき、大変有難うございました。よくまとまっていて、わかりやすいと思います。当時の熱気も伝わってきます。
     朴さん、崔さんの若かりし頃の姿も拝見できますね。

     実は、当時、朴さんを招いて駒場で講演会を開いたことがあります。調べてみたら、
    1971年5月8日、朴君を囲む会からの報告になっていました。
     朴さんとは、昨年、川崎市における放射能がれき埋立問題で出会ったのですが、その
    時には、1971年の、あの朴さんとは気づかず、原発訴訟を通じてお 会いしているうちに
    気づいたのでした。
     44年ぶりの再会は格別の味でした。
     
     原発訴訟に関するアップロード、今後ともよろしくお願いいたします。

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  2. 金信明さん、本人訴訟のホームページ、ありがとうございます。とても分かりやすく、深い中身です。さらに追加、完成を目指すとのこと、うれしいです。

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  3. Kumiko Tsuchıda 私は、朴さんの生き方を尊敬している一人です。1970年から現在に至るまで・・。日立は、原発メーカーでもある。朴さんは、退職後も、日立に勤務しながら、原発メーカー本人訴訟裁判で原発メーカーに責任追求をされている一人である。朴さんの姿勢に、人間として、学ぶことが多い一人です。朴さんは、一貫した、行き方をつらぬいておられる。堂々とされている。素晴らしいです。かつて、日立就職差別で、日立のマル秘事項に、『創価学会員、身体障がい者、韓国・朝鮮人を採用しない』がありました。私はそのことを知り、驚くと共に、創価学会員にそのことを話してみました。かつての宗教弾圧に対する厳しさを知る先輩が少なくなり、功徳を戴いた現代の創価学会員、公明党を支持する人びとにとっては、昔話のようであり、更に、No 原発は他人ごとのようで、心が痛む一人であります。宗教、思想とはこんなものなのかと考えさせられる一人です。

    崔さん、クリスマス・イブの今日、日立闘争のスライド・ユーチューブを紹介してくださりありがとうございます。作成者の金信明氏に感謝です。ありがとうございます。近く、私はトルコのシノップへ行きます。世界の人々と更なる連帯を組み、市民レベルの交流と尚一層の反原発を訴えたいと思います。そして、シノップの皆さんには、日本で原発メーカーに対する本人裁判訴訟の活動状況も伝えたいと思います。

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  4. 人間の判断や分析、意思だけでこの世のことが全て見えるわけではない、「混乱」のなかから真実が見えてくるという希望を持ち、やるべきことをやり抜く、その苦しみのなかにおいて真実を求め続ける、そして求め続けることのなかに希望を見出す....世界の人々と更なる連帯を組み、市民レベルの交流と尚一層の反原発を訴えたいと思います。 Now, ı am in Ankara in Turkiye.

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