2015年11月17日火曜日

人の痛みについてー Shigehiro Terajima

寺島さんが、先日、在特会を蹴散らした川崎桜本の報道について書かれたリポートを知りました。ご本人の承諾を得て、ここに掲載させていただきます。

ヘイトデモ、我が街に通さず 川崎・桜本ルポ」紹介ー寺島より
20151110
Shigehiro Terajima

2015118日、在特会が川崎・桜本で「安保法制に反対するハルモニたちのデモ」に対する仕返しの、ヘイトスピーチ街宣行動を計画し実施した。
 しかし、事前に川崎・桜本ふれあい館の関係者から高麗博物館のボランティアの人々へ、事実の周知とハルモニ支援が訴えられた。
「緊急のお願いです。川崎のハルモニたちが、先日、安保法制に反対するデモを実施しました。これに対して、在特会が仕返しの街宣行動をするとのことです。
地域は住宅地ですが、ハルモニ達を始め多くの人に不安を与えますので、ハルモニ達を支持し、在特会の行動に抗議するための行動に参加して下さい。
抗議する人が多ければ多いほど、ハルモニ達の不安を勇気と自信に変える力になります。日時:118(日)2時、川崎・桜本のふれあい館近くの「富士見公園」に集合」

 当日は「街を愛する人々が立ち上がり、ヘイトを許さないと毅然とした態度で彼らを追い返しました。しかし、川崎でのデモは11回目を数え、あのような差別発言がいまも街中で堂々と発信される現状は変わっていません。いかにそれがおかしなことなのか、報道機関としてきちんと報道していかなければと痛感しています。」(若い女性記者、以下の紙面で報道記事を書いています。)
 大多数の報道機関が見過ごしているなかでの貴重な記事です。
ぜひ、お読み下さい。
タイトル「ヘイトデモ、我が街に通さず 川崎・桜本ルポ」
神奈川新聞(カナロコ)http://www.kanaloco.jp/article/133037
2015.11.10 寺島より

  
参考資料(紹介者.寺島より)

●ヘイトスピーチ規制の第1段階として、
「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律(案)」が、野党により国会に提出された。しかし、「戦争法」の国会審議のあおりで棚ざらしになったが、野党の努力で継続審議扱いとなり、審議前の法律案として国会に生き残った。


●投稿した2015.7.29頃の現実

人の痛みについて
「朝鮮人は出て行け!……死ね!
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も、殺してやる!
「朝鮮人が子どもを産んで、また朝鮮人が増えた!
「朝鮮人、正々堂々と出てこい!……殺してやるから!

ヘイト・スピーチの一例だが、「朝鮮人」のところを、
「日本人」という言葉や、
又は、あなたの「名前」や「子どもの名前」を入れて読み直したい。

相手の気持ちが分かるとか、寄り添うことは、
理解するための分野の理論だけでなく、
相手が受けている感覚を感じることが大事だ。

これらの克服は緊急を要し、
民主主義社会でより良く生きるための常識になることが大切に思う。

上記の人間性に反する屈辱的な言葉に、
人間が晒され続けるとどうなるであろうか?

概括的にいえば、被害者が失うもの、
それは、安心して暮らす「環境」の喪失である。
24時間の生活、いつ襲われてしまうのかと恐怖と同居になる。

人は多くの場合、自己防衛から必然的に、抑圧された感情を忘れようとする。
それが、逆に不快感情を籠もらせて日常生活を続けてしまうことになる。

だが、誰にも何も言えず、強い抑圧された感情が内面化され続けると、
意識から消え去り忘れたと、思っていた頃にも、
不眠や、我が子の寝顔を見ると涙が出たり、
映画のフラッシュバックのように悪夢が現れる。
日常の生活の営みの最中、突然に吹き出すのだ。(PTSD)

本人は悪くないのに、
他人によって攻撃された精神的なダメージに苦しみ続ける。
心理学の研究例では、
ベトナム戦場帰りのアメリカの元兵士が、
平和な家庭生活の中で突然おこす悲劇が知られている。

在日の立場からみると、
日本社会の現実は、何かとうるさい在特会とか日本会議というと、
マスコミも怖がってきちんと取り上げない。
友人も多いが、当事者でない友人や日本社会への信頼も揺らぐ。
手をつなぐ相手が見つからないのだ。

冒頭のスピーチを
「表現の自由」の権利に引きつけていえば、こうなる。

在特会などのヘイトスピーチの「言論の自由」には、
相手の声をあげる「言論」を抑圧する構造が内包されており、
「表現の自由」の権利の多数の主体者である、
ヘイトの受け手たちの「表現の自由」を抑圧させる。

本来、「言論・表現の自由」の権利とは、
国家に対する個人や市民社会の権利であり、
表現者どうしの言論表現の相互性を認め合うことで成り立つ。

ヘイト・スピーチは、他人を現実に抑圧し傷つけ、
本来、権利の主体者がもつ「言論表現の自由」に対し、
否定的な作用を及ぼす、人間性に反する行為である。

被害の現場を見ない
「言論・表現の自由」の「絶対的擁護者」の立場で現れる人は、
ヘイトスピーチ規制に反対している。
しかし、学者の一部にある抽象的な権利の絶対性の擁護は、
被害の弱者に何の役にも立たず、権利の主体者が苦しみ続けるのだ。

私たちは、
現実から、権利の相互性から、被害の実態から、
「言論・表現の自由」の権利を問い直すことが大切に思う、この頃です。
 2015.7.29 寺島より
2015.8.1字句補正

PTSD=心的外傷後ストレス障害。

人が通常経験する範囲をはるかに超えた強い心的外傷を受けた後に発症する精神障害。幻覚やフラッシュバックの繰り返し、裏返しとしての記憶の抹消、更に不眠・集中力低下などの亢進状態が起こる。

1 件のコメント:

  1. トルコの久美子の手紙2015年11月17日 5:39

    川崎にこのような問題があることを私は先日、Facebookで知りました。それも、崔さん、寺島さんのニュースから・・・。朝鮮の皆さん、韓国の皆さん、今までどんなに苦しい思いをされてきたのでしょう・・・日本人として心が痛みます。、私は、少しでも皆さんと苦しみも、喜びも共有したいです。崔さんとは、原発メーカー訴訟の関係で知り合いになりました。大変に勇気のある方だと思っています。  一般的に、日本人よりも、日本にいる韓国人、朝鮮人の方々の方がとても勇気のある方たちが多いと、常日頃から私は感じている一人です。実は、今の日本には、崔さんの様な方は少ないのです。 川崎の皆さんが、今日まで一歩一歩戦ってこられたことに感謝いたします。地域をみなさんたちの努力で変えてこられたのだと思います。そして、少しずつ日本が変わってきているのです。例えば、地域で、街中で、駅で、学校で、電車の中で、バスの中で、団体行動の中で、相手を傷つける言葉をまき散らす人間がいても、だれも何も言えない・・・。それが今の日本の現状です。見てもみぬふりをする人が、今の日本の社会では多いのではないでしょうか?昔もそのような人がいましたが、注意をする人は少しはいました。現在、おかしいのに、おかしいといえない大人がたくさんいます。そして子供の世界では、それがいじめに繋がっています。私は思います。誰かがおかしいと小さな声を上げた時、更に続けて声を上げましょう。一人が、さらに次の一人が声を上げた時、それが大きな波動になっていきます。日本人は島国根性の代表的人種だと私は思います。私は痛切にそれを感じている一人です。海外に行くたびに、この島国根性丸出しの日本人を時々見かけます。私もその一人にならないよう、気をつけながら、異文化の人との交流をさらに続けて行きたいです。そして、どうか痛みを口にしてください。痛みを文字にしてください。共に苦しみを痛みを分かち合いたいです。そして、同じ言葉を発するなら、相手を励ます言葉を発したいです。なぜならその言葉は、私自身に戻ってきます。世間には、いてほしい人、いてほしくない人、友人になりたい人、友人になりたくない人・・・。私は韓国人の皆さん、朝鮮人の皆さん、海外から日本に来て生活している方々ともっと交流したいです。私の知らないみなさんの国の文化をもっと知りたいです。逆に、汚ない言葉、人を傷つける言葉を発する人とは、私は触れ合いたくもありません・・。たとえ日本人であっても、たとえ、どこかのお偉い人であっても・・。

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