2015年9月19日土曜日

岡まさはる記念長崎平和資料館へのメールと、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ

私のブログで書いた、「憲政会館で話した、「広島・長崎の地であった悲しい出来事」ー国際連帯を求めて」(http://oklos-che.blogspot.jp/2015/09/blog-post_16.html)を読んでくださった、原発メーカー訴訟の会のメンバーから連絡があり、岡まさはる記念長崎平和資料館のことをしり、早速メールを送りました。何か、手がかりが見つかるかもしれません。長崎のみなさんのご協力をお願いいたします。
 


岡まさはる記念長崎平和資料館 貴中
原発メーカー「原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団」の崔勝久と申します。

先月、韓国に行ったときに被爆者2世の集会に参観し、そこで講演された韓洪九教授から、広島・長崎の被爆地で、朝鮮人が水もご飯ももらえず病院にも運び込まれなかった結果、7万人の被爆者の中で4万人が死亡したという、酷い、しかし悲しい出来事を知りました。

韓水山さんが『軍艦島』(上下、作品社)その出来事を小説に書かれたということですが、その小説は貴資料館の資料を見て参考にされたのではないかと推測いたしました。そのような朝鮮人「殺人」に関する資料が貴資料館に存在するのか、確認をしたくてメールを差し上げます。

私はこの問題をセンセーショナルに取り上げるのではなく、朝鮮人殺害があった関東大震災の後20年すこしのことであり、当時の日本社会の中のナショナリズムの実態を知ることを通して、現在のヘイトスピーチ、北朝鮮や韓国に対する嫌韓発言、そしてなによりも安倍首相の「戦争法案」の中にあるある、近隣国家に対する、植民地支配の歴史を清算せず、新たな敵愾心を生み出す偏狭な愛国心を直視するのに、必要なことではないかと考えました。

今ならまだ間に合います。まだ当時の被爆を経験した、そしてその「殺人」の悲しい出来事を知っているひとが韓国でも日本でも生存されています。それを発掘して勇気と危険な方向に進む日本社会に対する危機感があればできないことはないと思うのです。

お忙しいところ恐縮ですが、ご返事をいただけましたら幸いです。


なお、私は本日より1週間海外に行きますので、ご返事をいただきましてもすぐにお礼のメールを出せないと思います。ご理解いただけましたら幸いです。

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岡まさはる記念長崎平和資料館近況案内
http://okamuseum.seesaa.net/

  

 この長崎の街に原子爆弾が投下されて70年の歳月が流れました。私たちは朝鮮人原爆犠牲者の無念の死を悼み、爆心地公園に集っています。戦後70年の節目の年といわれ、戦前戦後の歳月を振り返り、さまざまな考察や総括が展開されておりますが、日本の植民地支配と侵略戦争の加害責任が真剣に問われているとは思われません。それどころか、歴史修正主義がはびこり、戦後レジームからの脱却を唱える政治すらまかり通っています。

私はこの現状を深く憂い、到底黙認することはできません。なぜならば、そこに精神の堕落、倫理感の欠如を見ないわけにはいかないからです。多数の朝鮮人が被爆したのは日本の植民地支配と侵略戦争に原因があることは明らかであるにも拘わらず、その責任を痛感することなく、被爆者援護行政において差別排除してきた歴史は倫理感の欠如以外の何ものでもありません。今なお、医療費の支給に内外の差別があるのみならず、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者には何の援護もありません。

日本の加害責任が問われるのはもとより被爆者に対してだけではありません。侵略戦争の犠牲となった朝鮮人を、日本は無責任にも援護の対象外として切り捨てました。サンフランシスコ平和条約の発効(1952年4月28日)の2日後に制定された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に国籍条項を設けて2万人を超える朝鮮人を排除したのです。朝鮮人戦死者のなかには、少なくとも11人の特攻隊員と、BC級戦犯として処刑された23人が含まれています。

BC級戦犯の朝鮮人は日本兵が嫌がる連合国軍捕虜の監視に当たらされたことも知らなければなりません。日本軍の一員として戦った者に対するあからさまな排除は人倫にもとる恥ずべき行為にほかなりません。戦後20年を経て締結された「日韓基本条約」によって「解決済み」とする政府見解に至っては、朝鮮民主主義人民共和国とは無関係であることに加えて、この条約は基本的に賠償条約ではなく経済協力協定に過ぎないことを政府自ら銘記する必要があります。

 戦後70年を過ぎてもなお戦時中の加害責任を国際社会から追及されている最大の問題として日本軍「慰安婦」問題があります。「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、・・・ 慰安婦の募集については ・・・ 甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、・・・ また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という河野談話に異議を唱える言説が国会内にさえあることは真に由々しきことです。国際社会、とりわけ国連から「真摯な謝罪表明と適切な賠償」と「教科書での教育」を行なうようしばしば勧告(社会権規約委員会、拷問禁止委員会、自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会等)されていることに背を向け続ければ、「歴史倫理」(歴史に責任を負うこと)に背く国という不信感は避けられず、国民にとっても不名誉きわまりない事態に陥ります。

戦後ドイツのように、歴史倫理に沿って加害責任を果たさないかぎり、次代を担う子どもたちにも不名誉のツケを負わせる羽目にならざるを得ません。在外被爆者問題、朝鮮人戦争犠牲者の補償問題、朝鮮人・中国人強制連行問題、日朝国交正常化問題、朝鮮人戦没者の靖国合祀問題、朝鮮高級学校に対する無償化不適用問題等々、未解決の問題は「慰安婦」問題に限りません。「戦後日本は、先の大戦における痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」(安倍首相の米国議会演説)などと誇らしげに言うのは、植民地支配と侵略戦争の加害責任に背を向けて来た現実を無視する自己矛盾にほかなりません。

 戦後70年の今日、私たちは重大な岐路に立たされています。自公政権は集団的自衛権の行使を容認し、そのための「安保法案」を衆議院において強行採決しました。これは明らかに立憲主義にも民主主義にも違反するばかりか、日本を平和国家から戦争国家へと逆行させる背信行為です。再び戦争の加害も被害もあってはなりません。私たちは憲法を守る民意を結集してこの危険きわまりない法案の成立を断固阻止しなければなりません。今や全国的に高まっている廃案の要求は必ず実現すると信じます。

 無念やるかたないNPT再検討会議の決裂について一言申し上げます。これは、米国を初めとする核兵器保有国が主導したものでしたが、一方、日本政府も「核の傘」を容認してこの決裂に加担した責任を免れません。政府も国民も今こそ絶対悪の原爆投下までももたらした戦争責任を深く認識したうえで、核兵器の非人道性とその廃絶を世界に訴える責務があると痛感してやみません。

 以上の見地に立って、私は次のことを日本政府に要求します。皆さんの賛同をいただければ幸いです。
一、在外被爆者にも国内被爆者と平等に医療費を全額支給すること
一、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者に被爆者援護法適用の道を開くこと
一、日本軍「慰安婦」問題をはじめ、未解決の加害責任問題を速やかに解決すること
一、日朝ピョンヤン宣言に基づいて、朝鮮民主主義人民共和国と国交を正常化すること

 最後になりましたが、朝鮮人原爆犠牲者の無念に思いを馳せて、早朝にもかかわらずご参集くださいました皆様に心から感謝申し上げます。
 2015年8月9日
             長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 髙 實 康 稔

1 件のコメント:

  1. 長崎の高實さんから頂いたメールの中で以下のような記述がありました。

    多くの朝鮮人被爆者が放置されたことは疑いようがありません。韓教授が言われるとおりで、それは明らかに見殺し殺人です。「顔で見分けがつくはずはない」などと言う人もいますが、そう言う人こそ差別 の実態を隠蔽したいからにほかなりません。瀕死の朝鮮人が発した「オモニ」、「アイゴー」によってすぐに朝鮮人と分かったからです。

    それに対する私のお礼のメールです。
    高實さんへ

    ご丁寧なご返事おそれいります。
    「多くの朝鮮人被爆者が放置されたことは疑いようがありません。韓教授が言われるとおりで、それは明らかに見殺し殺人です。」

    この事実は嫌韓の雑誌や本が大量に流れ、「朝鮮人を殺せ」というヘイトスピーチが東京の真ん中でなされている今こそ、心して直視すべきものだと思います。戦争法案の通過、原発の再稼働・輸出などを敢行する日本の行く末に強い不安感を抱いております。

    私は日本の植民地支配を支えた加害者としての意識の脆弱さは、被害者として徹底してその被害をもたらした社会、責任者に対して責任を追求してこなかったことに起因していると考えています。

    私自身は日本生まれの二世として、3・11福島事故を起こしたメーカーのGE、日立、東芝の責任を明らかにするために世界39ヶ国から4000人の原告を集めた、メーカー訴訟をはじめました。原発体制とは何かを捉えることでそれがいかに差別に根ざしているのか、歴史的・社会的な差別構造の上でなりたっているのか、よくわかるようになりました。

    10月7~14日まで、韓国の古里原発を相手に甲状腺がん発症の責任を問い勝利したイ・ジンソプさんが玄海裁判の証人になり九州各地で講演をされ、私は同行します。残念ながら日程が詰まっており高實さんにお目にかかることはできそうにありません。あらためて長崎を訪問し、高實さんにお目に掛かりたいと願っております。お目にかかれるのを楽しみにしております。

    お元気で。

    崔 勝久

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