2013年10月16日水曜日

原発のないアジアの平和を実現する方策を模索してー李大洙

  
  
  原発のないアジアの平和を実現する方策を模索して

李大洙(アジア平和市民ネット運営委員長)

福島事故以後、その年の10月「さよなら原発1万人福岡集会」への参加をはじめとしてほぼ毎年、各地で開催されている脱原発集会に参加し、日本市民が原発反対運動を行っていることを見ながら「日本市民が生き返っている」という雰囲気を実感している。福島事故を契機に、韓国はもちろん全世界的に脱原発・脱核運動が高揚している。スリーマイル島原発事故は、最終的に「レベル5」で統制されたことによって最悪の大型事故へ拡大するのを防止した。そしてチェルノブイリ事故は当時の旧・ソ連による情報統制と非公開などにより実状が把握されるまでには多くの時間が必要とされた。

米国のカーター大統領は新規原発建設を中止し、米国ではこの30年間新規原発は建設することができなかった。ゴルバチョフ大統領も認めた情報統制と政治的管理の失敗により旧・ソ連は解体され、チェルノブイリ原発が属していた地域はロシアの外なので、ロシアは責任を負う姿勢を見せていない。福島事故は大型事故となっただけでなく、長期間持続することが予測されたにもかかわらず、土壌と地下水の汚染と放射能汚染水の大量海洋流出により全地球的な災害となっている。安倍政府は2020年夏季オリンピック 誘致を成功させることで、政府の責任ある努力に対する期待に応えるために、原発事故統制と責任の全うという二重の課題の前に立ったのだ。このような状況で、私たちは脱原発・平和な社会のための提案をいくつか上げてみる。

第一に、原発の歴史と核体制の本質を理解しなければならない。現在の原発体制は第2次世界大戦終盤の核爆弾投下で始まった。戦後、国連を通じて「原子力の平和的利用」という名目で始まった原子力(核)発電を、核兵器の破壊力と残酷さに対置させて異なるイメージとして登場させたのだ。日本の漫画、原子少年のアトム、そして少女ウランはウラニウムだった。「核」が「原子」という名前によって、正義の使徒であり人類に希望をあたえるイメージとして登場したのだ。核爆弾の開発と拡散に対する不安が拡大し、ヨーロッパを中心として核兵器反対運動が展開したが、これは反戦運動の重要な要因といえる。米国の核兵器独占はソ連と英国などの核兵器開発により、独占と寡占体制に転換され、IAEANPTを通じて維持管理されているという批判が強い。

第二に、原発の実状を把握することが重要だ。原発推進論者らは、原発が安全で経済的であり環境に親和的だと広報してきた。スリーマイル、チェルノブイリ、福島原発事故を通じて決して安全でないということが実証された。米国の場合、寿命延長を試みるが、高い費用と安全問題の壁にぶつかり閉鎖する事例が増えている。さらに、完工したが安全要件の不足で稼動できないまま、事実上の廃棄状態となった原発もある。燃料のウラニウム採掘と加工、そして本格化する廃炉過程の費用は決して経済的でないということを示している。米国は100基を超える原発と、世界で最も多い核兵器を保有している。核兵器がない世界をビジョンとして提示し、先払いでノーベル平和賞まで受賞したオバマは、ロシアとの核兵器削減は合意したが、スリーマイル島原発事故以後30年ぶりに新規原発2基の追加建設を承認することにより、核体制に対する未練を放棄していない姿勢を見せた。

第三に、新再生エネルギーへと転換しなければならない。ドイツをはじめとしてヨーロッパの様々な国が、脱核エネルギー転換を成し遂げてきた。太陽光、風力、地熱、バイオマス、潮力などの代案を多様に実用化することによって、原発の比重を減らした成功事例を作っている。日本の場合、福島以後、ソフトバンクのような大企業が自然エネルギー事業に集中投資して、特に地方自治体と協力して大規模太陽光発電事業を展開していることは励みとなることである。ドイツの場合でも、石油産業に従事した企業が太陽光事業へ転換していることを見て取れる。太陽光をはじめとする新再生エネルギーに基づいた住宅団地、エネルギー効率を上げた生態産業団地を造成していることは、注目すべき事例だ。

第四に、エネルギーの需要管理・節約が実現されなければならない。20世紀後半から、全地球的にエネルギーを過多に使ってきた。多くの戦争は、石油エネルギーをめぐってのものだった。適切な水準のエネルギーを使って暮らすことが可能な生活方式、生活文化を定着させなければならない。節電型家電製品から公共の建物と施設、そして企業体のエネルギー効率を上げて節減を実現できる租税補助金など、政策的誘導方案を準備しなければならない。幼稚園から老人施設に至るまで、エネルギーの恩恵を受けて豊かさと便利さを享受してきたすべての人が、学校や町(村)や仕事場で持続可能な人生のための価値観と生活方式、そして産業体系と社会システムの変化を共に考えながら対処していくべきだ。欲望を適切にコントロールしながら、共生の価値を実現して行くようにしなければならない。キューバの事例は、持続可能な社会のひとつのモデルとして評価されており、注目されている。

第五に、エネルギーは民主主義と人権、生態的な平和の問題である。20世紀、多くの戦争は資源とエネルギーを確保するためのものでもあった。石油と核は、一部先進国と発展途上国の産業化を通して豊かさと便利さを与えたが、同時に世界のあちこちで起きている貧富の格差、対立と戦争の核心的な要因であると指摘されてきた。1970-80年代、米ソ間の核兵器競争は人類に危機をもたらしたが、他方では全世界的な反戦平和運動の拡散と発展をももたらし、国家間の公正な共存と持続可能性についての認識を高めた。それは民主主義の拡散と定着、人権の発展と共に成り立ってきたことだった。自然に対する無知、傲慢と偏見についての反省が、生態的な平和の重要性を悟らせている。

第六に、「核とキリスト教信仰は両立できない」という告白と実践が要求される。信仰人には、石油の浪費と核開発(核発電と核兵器)の危険性を認識し、生命と平和の創造、秩序回復に打って出なければならない責任がある。3.1運動93周年の2012年に発表された「核ない世界のための韓国キリスト者信仰宣言」を参考にする必要がある。「核とキリスト教信仰は両立できない」と宣言した。特に「生命の神よ、正義と平和へ導いてください」という主題で1030日から11月8日に釜山(プサン)で開催されるWCC(世界教会協議会)総会を通じて、脱核を全世界教会の共通の課題とするために、宗教の壁を越えて善なる諸勢力による共同の努力が切に必要なときである。

第七に、アジアと世界市民の連帯を実現しなければならない。チェルノブイリ事故が起きた時、その影響は全ヨーロッパに広がった。福島事故は、日本の東北地域だけでなく日本全体の問題にならざるを得ず、今は東アジアそして全世界の問題となっている。核発電所の稼動停止と解体は人類的課題である。原発輸出に夢中になっている日本と韓国の政府と企業は、国益を大義名分として福島の教訓を忘れている。2020年東京夏季オリンピック誘致の成功を前面に出すよりは、事故収拾と十分な情報公開を通じて現状を共有し、アジアレベルでの共同対応策を準備することが必要である。NNAA-Jが主導的に推進し、韓国と台湾などアジアの市民が参加している「原発メーカー世界1万人訴訟」も、共同対応を準備する良い方策となっている。

終わりに

今年3月、大江健三郎氏は東京での講演で、日本が世界の尊敬を受けることができる道は、「平和憲法を守り原発を閉鎖すること」と話して大きな共感を受けた。目覚めた市民たちが組織化されてこそ、日本社会の変化を実質的に実現できるだろう。特に、広島と長崎での原爆被害を体験し、福島原発事故を体験している日本の苦痛と犠牲は、人類に核の危険性を全身で見せてくれた十字架事件でもある。「十字架の苦痛がなければ復活の栄光もない」ということは、キリスト教徒だけではなく人類に与えられた大切な教訓でもある。福島を契機に、現在日本の市民たちが味わっている苦痛を超えて、新しい日本へとさらに前進し、アジアの平和を実現する機会となることを願う。

(『福音と世界』2013年 11号に掲載)

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