2013年5月21日火曜日

朝日はヘイトスピーチに対して一歩踏み込んだ発言をしましたね、評価します

朝日新聞(石橋英昭記者)はヘイトスピーチに対して一歩踏み出したコメントをだしましたね。

今回は、社説でも一般記事でもなく、「ニュース

がわからん」という、漢字にルビを沢山振った「初心者」向きのコーナーだからでしょうか、一歩踏み込んだ説明になっています。

「外務省は「処罰の立法が必要なほどの差別扇動は、今の日本にはない」と説明している」と書き、「え? 多くの在日コリアンがおびえているのに。」と質問を設定し、それに回答を記しています。

「ヘイトスピーチ被害の実態を、政府はきちんと調べたらどうかな。刑罰が難しても、行政的、民事的な手法で被害を防ぐ工夫はないか。包括的な人種差別禁止法を作れと、日本は国際人権機関から何度も指摘されている。差別は許されないという姿勢を、政治が先頭に立って示してほしいね。」

2013年3月16日土曜日
日本社会は「韓国人を殺せ」とデモすることを、言論の自由とするのか?
http://www.oklos-che.com/2013/03/blog-post_16.html
このときの石橋記者の書いたものはあまりに「客観的」過ぎ、私は批判的な意見を書きました。言論の自由との抵触とか、一般市民の抗議の意思表示の重要性に言及するだけで、在日の「尊厳」にはふれても、その命の危険性には踏み込んでないからです。

私のブログでの意見はこのように記しています。
●記者は個人名の記事で差別の法規制を求めるべき
どうして記者は、市民の抗議の意思で在特会のデモを止めさせる努力をすべきという次元での主張で終らせているのでしょうか。自分の在日の親友を殺せというデモが公然と行われ、憲法学者が観念的に言論統制の問題として片付けようとすることに対して、毅然と、言論統制は許されないが、在日の友人の危機を黙って見過ごすことはできない、早急に人種差別撤廃条約の4条の留保を解除し、人種差別の扇動を禁じる法律を作るべきだ、一般市民の関心と理解を求めると実名入りの記事で主張できないのでしょうか。

その当時と状況が変わったのは、これまで在特会に「融和的」と見られていた安倍首相が、在特会を批判するコメントを出しました。「他国を、他国に人々を誹謗中傷することで、我々が優れているという認識を持つことは、まったく間違っている。結果として自分たちを辱めることになる(7日、予算委員会)」。

谷垣放送は9日の参院法務委員会で、「憂慮に堪えない。品格ある国家、成熟した社会をつくる方向に真っ向から反する」と話しています。このような国際的な批判が高まり、それに応えるべく政府要人も重い腰をあげました。だから、朝日も「差別は許されないという姿勢を、政府が先頭に立って示してほしい」と記し、刑罰以外で罰する方法や、正面から国際機関からの要請にも応えるべきだという記事になったのでしょうか。いずれにしても朝日新聞のこの一歩の踏みだしを評価します。





しかし在特会に対する市民の自発的な動きを期待するかのような先の朝日の記述は、「レイシストをしばく会」のような、在特会との肉弾戦や聞くに堪えない言葉のやりとりが街頭でなされる事態を引き起こしていることに言及がありません。
2013年5月12日日曜日
在特会が街にやってきた! Zaitok-kai is coming to Town!
http://www.oklos-che.com/2013/05/zaitok-kai-is-coming-to-town.html

私はレイシスト(ファシスト)には差別用語で罵倒してもよい、運動とはそのようなものだという考え方と行動には賛同できません。だから橋下には知事をやる資格はないと考えますが、かれを「ハシゲ」「ハシシタ」というような部落差別につながることばで批判することには同意できないのです。

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