久しぶりに聞く朗報です。小学校に新入生への防犯ブザー配布を朝鮮学校に限り取りやめた東京都町田市教委は8日、一転して配布」(朝日4/9)を決定しました。まずは、よかったですね。毎日jpによるとこれまで500件の抗議電話が市教委に殺到したそうです。
3.11以降、原発立地地域での選挙で原発反対派は全敗でした。安倍政権になってからは、領土問題を軸にしたナショナリズムに訴える政策が成功したのでしょうか、反原発運動の中にも日の丸が掲げられるような状況になっています。
在特会の都心でのデモでは「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ人が出てくるような殺伐たる雰囲気になっていました。しかしそれに抵抗する一般市民の在特会を囲む動きも出始めていました。そのような若干明るい兆しも見え出したところで、この町田市の差別政策を撤回させることができたではないかと思います。この勝利の影響はどれほど拡がるでしょうか。
残念ながら、昨年の衆議院の選挙では脱原発派の有利が運動の中では期待されていましたが、私は大敗を予想しました。安倍政権の支持率は70%を超えるようになっています。
株価、円安、日本銀行のドラスチックな政策と連日マスコミがよいしょをする中で、自公の与党に維新の会、みんなの党という憲法「改悪」に賛成する政党と合わせるとおそらく今回の参議院選においても、昨年と同じような結果になるのではないかと危惧します。
北朝鮮の拉致や核実験、ミサイル実験への「報復」として安倍政権は朝鮮学校を高校無償化の対象外とする差別政策を決定してから、それに倣うかのように神奈川県や川崎市においても、北朝鮮の政策と朝鮮学校を一体化してとらえ、「報復」処置として支援金の中止や実質的な減額を決定しました。
今回の町田市はそのような流れの中で、「北朝鮮の核実験や文部化科学省が朝鮮学校を高校無償化の対象から外したことなどを理由に、朝鮮学校へのブザー配布を決めたものです。しかも市教委はその措置が市民の民意を反映させているので市民の賛同を得られると、神奈川県知事や川崎市長と同じように判断した形跡があります。
しかし新聞を読んでいる者であれば朝鮮学校への差別的な言辞が大きく取り上げられているこのときに、防犯ブザーが最も必要なのは朝鮮学校の子どもたちだということくらいわかりそうなものです。その判断ができなかったのは根本的に、市教委に外国人もまた同じ市民であり、その権利を市が守るのは当然という意識がなかったからでしょう。
やはり彼らにとっては外国人は日本人市民とは異なる、たまたま町田市に住んでいてもそれは「外部の人」なのでしょう。その意識は「いざというときに戦争に行かない外国人は『準会員』で差別があっても当然」と発言してきた川崎阿部市長の、外国人を二級市民とする考え方と同じです。考え方だけでなく、各地方自治体は今では外国人の採用をしますが、川崎市が制度化した、採用した外国人を管理職に昇進させない、市民に命令する職務に就かせないという制度をもっていることは知られていません。
今回の町田市の撤回は、市教委は「教育委員に諮らずに事務局だけで決めてしまったことなど反省すべき点が多い」と手続き論の問題に矮小化しています。朝鮮学校側への謝罪もしていないようです。「今回の反省を今後の事業実施に生かしていきたい」と市教委は言ってますから、事態は内部で今回のやり方を反省して(もっとうまいやり方でやろうということで)解決だとみなすのでしょう。
しかし差別はたまたま露呈した今回の朝鮮学校の問題だけではなく、もっと深く、行政も一般市民も、そして市民運動をする人たちの中でも暗黙のうちに承認している差別制度があるのです。昇進させません、働く仕事にも制限があります、こんなことを公言している職場に誰が敢えて行こうとするでしょうか。外国人差別の根は深い、このことをしっかりと確認したいと思います。
外国人を公務員から排除する措置は、サンフランシスコ条約のときに内閣で作られた「当然の法理」という見解です。この見解が今も各地方自治体の全てを支配しているのです。戦争中に採用した朝鮮人、台湾人公務員を追い出すための見解で、それ以降、外国人を締め出す根拠になっていました。それを打ち破ろうとした闘いが、朴鐘碩の日立闘争、金敬得の弁護士資格闘争、そして鄭香均の東京都の課長職の受験資格から始まった裁判闘争でした。
このような在日の地下水のような個の尊厳を賭けた闘いと、朝鮮学校差別、そして反原発闘争、そして植民地支配の未精算の問題としてある従軍慰安婦問題、在韓被爆者問題、強制労働の賃金未払い問題、これらはすべて通底する問題として捉える視点が不可避です。
それは植民地主義とは何か、国民国家とは何かという問いにつながると私は考えています。
2013年4月6日土曜日
地方自治体の在日差別・抑圧の根は何か
http://www.oklos-che.com/2013/04/blog-post_6.html
2013年3月2日土曜日
阿倍孝夫 川崎市長 への抗議文ー開かれた地域を求める六つの要望(朴鐘碩)
http://www.oklos-che.com/2013/03/blog-post_2.html
2012年12月15日土曜日
私は選挙運動の最終日を、このような気持ちで迎えます。
http://www.oklos-che.com/2012/12/blog-post_15.html
「人権・共生」の街 川崎市の「当然の法理」―朴 鐘碩
http://www.oklos-che.com/2009/06/blog-post_10.html
2010年7月7日水曜日
鄭香均さん、昨日のご講義、お疲れさまでしたー加藤千香子
http://www.oklos-che.com/2010/07/blog-post_07.html
外国人を二級市民とするのは当然とする政府見解の「当然の法理」 その出発点は朝鮮人・台湾人の国籍を剥奪したサンフランシスコ講和条約締結とその後の国籍条項だと理解していますが合っているでしょうか。主権回復の日式典についての批判の中でもこの点について触れる批判が見られない(私の知る範囲では)ことに困惑しています。 日本の世論が現在も続く植民地主義と根本的に向き合おうとしていないことは明白だと思います
返信削除”「いざというときに戦争に行かない外国人は『準会員』で差別があっても当然」と発言してきた川崎阿部市長”
返信削除について一言。
そもそも「国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄。戦力の不保持。」を宣言した日本国憲法下で、憲法遵守を義務とする(高級)公務員が”戦争への出兵”を想定して発言すること自体がおかしいのだが、彼に於いては良心的徴兵忌避者などは想定すらできないのだろう。彼らもまた二級市民にするのだろうか。いや「非国民」よばわりか。
他国民になんら敵対的な利害関係を持たない低所得者(労働者・市民)同士を国の名に於いて動員し争わせる、”お上”の欺瞞は歴史上なんども暴かれているはずだが、”領土侵害”や”他国の侵略”を煽られることによっていとも簡単に”また再びの道”にふみ出すとするならあまりにも愚かだろう。
国籍を持たせさえすればいざというときに必ず兵士として戦争に行くとの想定もまた素朴の極みだ。戦争を必要とするお上をいらないとする声が広がるときでもあることを認識させなくてはならない。