2012年12月8日土曜日

日本、この国はどこに向かうのでしょうかー歴史の不条理に立ち向かう

私は3・11以降、再稼働反対の運動に賛成し、原発体制とは何かを問うところから、この国の展望が切り開かれるのではないかと望んできました。しかし再稼働の運動が市民を巻き込み大きな流れになってきたとき、領土問題によって、韓国からの天皇謝罪発言や尖閣諸島国有化にたいする中国の激しい反発に日本のマスコミや多くの市民は一挙に愛国者になって、韓国や中国になめられてたまるかという発言をするようになってきました。それを見た私は、再稼働反対の高まりの運動もこれまでの運動と同じく、一国主義を乗り越えるには大きな障壁があると危惧し始めました。

韓国ではPark女史の優勢が伝えられてきましたが、ここにきて幸い、韓国は大統領候補を辞退した安哲秀氏が野党候補の文在寅氏を支援すると公言することになったので、今度の選挙で勝利する可能性が出てきました。

しかし日本の情況は悲惨です。朝日新聞は自公で過半数、毎日は自民単独で過半数と伝え、テレビはまだ過半数の人は態度保留なのに、電話によるアンケート調査(これはネットでは、固定電話を使用しているということで、若い世代の意向は反映されていないように思えるのですが)をあたかも決定的なことのように伝えています。まだ決定的なことはわからないのですが、私は領土問題への日本社会の反応を見て、今報道されていることを予感してきました。

できれば都知事選でも勝ち、山本太郎も当選してほしい、そして脱原発を訴える人が当選し議員の過半数を占めるようになってほしいと願います。しかしそうはならないでしょう。私は悲惨な結果を予想します。歴史とはそんなに楽観的に私たちが思うようには動かないものなのでしょう。過去の戦争を起こしてきた歴史を私たちは、あれは過去のこと、何であのような判断をしたのか、どうして戦争に狂喜し、海外に侵略し凌辱、殺人を行い、関東大地震の時は000人もの朝鮮人を殺したのか、おそらく自分の親や身内の人たちはそんなことをするはずがないと、多くの方は思われてきたでしょう。

しかし今は、自衛隊を国防軍に変え、原発の再稼働を約束し、韓国や中国になめられてたまるかという声に歓喜する人が多くなっています。首相であったときにアメリカで「従軍慰安婦」への日本軍の直接関与を否定して失笑され、ついには辞めざるをえなくなった人物を新たな指導者として日本国民は再び選ぼうとしています。歴史はそんな不条理な道を歩のでしょうか。

どうして、どうして、捕囚の民となったユダヤ人が悩みに悩み、その中で生れ出てきた苦難の歴史観、そこに神信仰を見い出した苦悩の闘い
が思い出されます。侵略や凌辱、虐殺の歴史を否定し、過去の栄光を望んで大国日本の道を説く偽りの「預言者」に熱狂する民衆。これは過去の小説やドラマでなく、福島の事故を経験した、今の私たちの現実です。

しかしまだ決まったわけではありません。原発体制の問題の根の深いところから物事
を考察していくしかありません。体当たり的な、目の前の矛盾だけに目をやるだけではもはや勝てないようです。ここで腰をしっかりと据えた闘いをはじめませんか。あきらめるわけにはいかないのです。

そのためには民族や国籍を超えた視点が不可欠でしょう。国民国家という現実の制度がありそれを無視して観念的なことを言ってもはじまらないという声が聞こえそうです。国民国家は、自国の利益のために外国人を殺してもよいという考える人間を国民として作りだしてきました。それは決して極端な話でもたとえでもありません。事実、日本においては、国籍ということで国民国家の枠を当然のこととして守ってきました。日本は日本人のもの、これは改めて言うまでもないくらい当然のこととして受け入れられて来ました。

みなさんは、地方国家公務員法に国籍条項がないのをご存知でしょうか。それにもかかわらず日本の独立のときにそれまで日本の公務員だった朝鮮人、台湾人を排除するため「当然の法理」という政府の見解を出しました。女性参政権の受け入れと外国人の排除は表裏一体のものでした。

今は川崎市をはじめすべての地方自治体は多文化共生の看板を掲げ、外国人の地方公務員を受け入れるようになりました(門戸の開放)。しかし採用した外国籍公務員は昇進させない、市民に命令する職務には就かせないという、「当然の法理」に基づいた差別制度をつくったのは、全国の政令都市でもっとも外国人施策で進んでいるといわれている川崎市です。
「人権・共生」の街 川崎市の「当然の法理」―朴 鐘碩
http://www.oklos-che.com/2009/06/blog-post_10.html

地方自治体におけるこのような外国人差別と、原発立地の地方が中央から差別されてきたこと、そして日本の国益のために行われている原発の輸出、これらは植民地主義という概念をたてたときに明確につながるということがおわかりになるでしょう。戦後の植民地無き植民地主義は原発体制を生みだしてきたのですが、それは戦前の植民地主義の清算をしてこなかったからでもあると私は考えています。

私たちの再稼働反対の運動は実に歴史的な課題を担い、そして世界の構造的な問題と対峙するものだと思い定めない限り、私たちの闘いは持続できません。深い思索と世界に向けた開かれた行動実践が求められています。

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