2012年2月27日月曜日

投稿:一枚のハガキー池谷彰

池谷彰さんから、拙稿「3・11フクシマ原発事故をキリスト者としてどのように受けとめるべきなのか」
http://www.oklos-che.com/2012/02/blog-post_26.html に対して「一枚のハガキ」というコメントを送ってくださいました。ご本人の承諾を得てみなさまにご紹介させていただきます。

池谷さんは、私と同じ「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)のメンバーのお一人です。ご支援、ご協力に心から感謝です。

なお池谷さんは、「空の空なるかな」という素晴らしい一文を昨年の6月24日にも投稿くださいました。長文ですが多くの方がご覧くださいました。まだお読みになっていらっしゃらない方には是非一読をお勧めいたします。http://www.oklos-che.com/2011/06/blog-post_24.html   崔勝久

一枚のハガキ   池谷 彰

 確か、加藤周一であったと思いますが、以下のようなギリシャ詩人の詩を引用していました。「平和な時は息子が父を葬り、戦いの時は父が息子を葬る」と。
 99歳の新藤兼人が映画人生の最後の作品として製作したのが「一枚のハガキ」です。まさにギリシャ詩人が書いたような事態が太平洋戦争の末期に起こりました。この映画は新藤兼人映画監督の実体験に基づいて作ったそうです。夫を戦場に送った妻・友子は次のように書くのです。

「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」  友子

そして、この一枚のハガキを受け取った夫は戦死し、悲劇の連続が起こります。

 また、 「一枚の絵」という題の本があります。

 あなたを知らない 

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は 朱い血の色のそまっているが
それは人の身体をながれる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灯け色
あなたの胸を染めている 父は母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちが  あなたがあれほど告げたかった言葉に
今ようやく  五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年も生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳をかたむけなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ  画学生よ
私はあなたをしらない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた 掛買いのないあなたの生命の時間だけだ

 これは戦没画学生の絵画を集めてある信州の「無言館」の館主窪島誠一郎の言葉です。

  そして最後に「一本の鉛筆」と言う題の美空ひばりの歌をご紹介いたします。
 「一本の鉛筆があれば、 戦争は嫌だと私は書く
 一枚のざら紙があればあなたをかえしてと私は書く
 一本の鉛筆があれば人間の命と私は書く」

 私は老骨に鞭打って9条の会と反原発運動に参加していますが、私たちの運動が少数者であり、孤立しているのではないかという恐れと焦燥感に襲われるときがあります。そのような時に「一枚のハガキ」「一枚の絵」「一本の鉛筆」の伝えるメッセージに深い慰めと勇気を与えられています。

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