OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2012年2月6日月曜日
ある川崎市民の声ー小出先生のお話を伺って
私は、原発事故で放射性物質が、放出され多くを浴びてしまっている状況で人々は、どう行動していかなくてはならないか科学的なことが知りたいなと思っていました。
私は科学的知識をもっていませんが、京都大学の小出先生の1月に福島市で講演されその内容からは、放射性汚染物質は、事故前は、厳重に管理され研究者でもその法にのっとり汚染物質を管理区域(0.6シーベルトでしたでしょうか?)から持ち出さないよう管理されていたそうです。鉛筆1本、汚染された状態では、外に出せない。それが事故後は、この法を無視し、100シーベルト以下は、持ち出し可能としていることになっており法治国家として成り立ってないと訴えていました。
子供たちの20ミリシーベルト以下の問題と同じです。食物の基準値の問題などなど管理区域以上のところは、避難しなくてはならない状態なのだとこの前提がすべて無視されことが進んでいて、そこに生きている状況なのだと。人はこの放射性物質とどう付き合えるのか?これから50年、何万年と影響はあるわけで...
チェルノブイリの写真で、事故で使用したヘリもダンプもそこに放置したままです。村々の家は、高濃度に汚染されている場合、放置すると汚染物質が拡散するため取り壊し土で覆っています。拡散させないことが、基本にあるのだろうと思います。
小出先生は、放出されたものはどうにもできないが、放射性汚染物質は、子供のいる場から取り除き(完全に無くなることはないのですが)校庭の一角に放置するのはいけない、ならばどこに置くのか、高濃度に汚染され、どうにもできない場に集めるしかないのではないか、放射性物質を放出したのは、福島第1原発であるからそこに返す、ここが高濃度で立ち入れられないのであれば福島第2原発敷地へ、そこもいっぱいになる場合残念ながら福島原発近隣の高濃度汚染地域におかせてもらい放射性汚染物質を移動させ多くの場所を汚す状態はできるだけ避けなくてはならない、と話されました。
これは、本当に福島の方々にはむごいお話です。何より双葉町は補助金を受け取らず、原発に依存しない街づくりを行いだしていたところです。飯館村も町村合併を拒否し独自の村づくりを進めていたと聞きます。先祖代々の土地を、牛を、森を守ってきた方々の土地を奪ったことは、いつ考えても重苦しい気持ちになります。
日本全土に濃淡はあっても放射性物質は放出されました。でもまだ西は食物は守られているかもしれません。放射性物質で汚れた土地が引き受けていくということが、これ以上広めないという立場から言われていることだろうと思います。小出先生は、汚れてしまったといわれます。取り除けないのだと。
ドイツでは、使用済核燃料を格納する容器の研究を緊急に行っています。どこの土地も受け入れないからです。各地が受け入れるのであれば、これまでの廃棄物程度の土壌処理では、ダメなのではないか。どうしても漏れ出ることもあるのならば、技術が進歩するまで、格納容器ができるまで移動できないのではないか。しかし、原発を実質的に容認することになった自分の行動からすると低量被ばくも受けざる負えないのだろうとも。
本当にどうしたらいいのかわかりません。福島で戦っている方々の意見を聞きながら進められたらと...
決して「自分のところにはガレキ?汚染物質?は来てほしくない」というような安易な言い方は出来ないだろうと。この放射性汚染物質をどう取り扱うべきなのか、個々のお考えがあるのだろうとこれまで読ませていただいてました。まとまらない文章で申し訳ございません。
「脱原発かわさき市民」メンバーのKKさんより
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿