2011年12月11日日曜日

韓国古里(コリ)原発に行って来てー写真家 権徹 Kwon Chol

ツィターで見知らぬ人からメッセージがあり、私のブログを読んだのでしょう、権徹なる写真家の紹介がありました。権徹氏のブログには、「写真家 権徹ー日本で活躍する韓国人 photo journalist 新宿歌舞伎町、米軍基地、ハンセン病患者、在日朝鮮人、脱北取材等TVと雑誌で活躍中 ホームページ:www.kwonchoul.com 」とありました。早速彼のブログにある写真を見て、私は写真のもつリアリテイに驚きました。プロの写真家が撮った写真は、何にもまして「真実」を明らかにしています。韓国の古里という原発のある地域がどのようなものか、そこに普通に住む人がいかに危険と隣り合わせで生きているのか、彼のそれを許していいのかという想いが伝わってきます。

権徹氏は写真一枚一枚にコメントを付けていますが、そのすべてを訳す時間がなく、最初と最後のところをご紹介します。韓国語を読める方はブログでお読みください。
http://blog.naver.com/wpckpress/90127794807

「福島の原発事故からしばらく混迷した気持ちを整理できないでいました。その頃頭を冷やそうとして読んだ韓国の新聞の社説でこのような記事に出会いました。
『原発を建設した歴代の韓国の大統領たちは卓越した眼で歴史的な選択をなし、韓国原発の海外輸出に86年のチェルノブイリ原発事故は私たちにとっては実に運が良かった』
『古里1号機の前に立つと実に粛然とする。偉大な選択のおかげでいまや私たちは潤沢な生活を享受しており、貧困との中でどうしてこのような偉大な選択がしたのか、心で感じ取れ』このような内容でした。驚きを禁じることができませんでした。韓国の三大新聞社の中の一つがこのマスコミで何の証拠があってこのような詭弁を論じることができるのか? とてもこの文を読んで自分の目で確認しなくては耐えることができませんでした。私はすぐに韓国の古里原発に向かう飛行機に身を預けました。」




氏は、最初の日に出会った食堂のおばさんから、こんな恰好(撮影用の重装備?)でどこから来たんか、日本?ここは地震も津波もなく安全だよと言われ、原発の施設では、取材を断られたそうです。原発から500メートルも離れていない小学校に向かうと、そこは場所にそぐわないくらい立派なグランドと体育館があったそうで、かれはここも日本も同じかという強い印象を持ったそうです。






地域で反対している人に遭ったら、「臭い飯を食べていない人はもう幾人も残っていない」ということでした。韓国も日本も同じかと思い日本に帰った彼は、多くの外国人が帰国するのをしり目に東京に残り取材をするのですが、放射能の恐怖を語っていたマスコミも、街中も日に日に元に戻る様子に驚いています。「本当に人間とは忘却の動物ということから抜け切れないのか。次第に人間は危険な放射能に慣らされて行っている。いや、慣れろと強要している。こんなに慣れることの足場を作ったのはメディアであることは間違いなく、その強制はますます強くなっている」と書いています。

最後に、権徹氏は、「今すぐに画期的なエネルギー開発に投資しろだとか、原子炉を明日閉鎖しろと言っているのではない。不透明な真実が跋扈しているこの狂乱の時代に、一流大学を出た知識人やマスコミの関係者たちがまず、世の中に向かって真実の門を叩くことはできないものか?」と結ぶのですが、そこに彼のジャーナリストとしての思いのすべてを見る気がします。

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