専修大学の宮本光晴教授とお会いしました
教授は、専修大学が国に申請して承諾を受け発足させたプロジェクトの成果物である『川崎都市白書』の著者のお一人で、現在は都市政策研究所の所長をされています。出身が大阪であり、高校も近く、ご子息がICUを卒業されたとのことで30分の予定が1時間半にも及びました。ざっくばらんな話し合いになり、大変、協力的で今後もいろいろとご指導いただけると思います。
教授は企業研究を中心とした近代経済学専攻で、『環境再生』のマルクス経済学の著者たちとは違いがあるようですが、それでも中村剛治郎教授はマル経の原則主義的観念性(私の言葉です)を著書で批判されており、地域経済の分析に関しては現実に即して研究するしかなく、何系の経済学なのかということは私にはあまり重要なことではありません。宮本教授もそのようにお考えのようで、川崎の臨海部の問題に関しては、行政を含め『環境再生』派と『白書』派が一緒に討論することにも快く賛成してくださいました。4月には行政の都市計画の担当者、5月には、『環境再生』の著者の一人である佐無田さん、6月には専修大の先生、そして秋には全体が一堂に会するシンポができればと思います。
専修大の白書に関しては、素人の私が一読して感じたことをお話ししました。まず、公害を克服してその過程で得たノーハウと新たな研究開発によって、知識集約型の産業構造になり、省エネや新エネルギー開発でエコ・環境都市になる(可能性を秘めた)川崎モデルとして全世界に誇れると分析・提案された内容は本当にそうなのか、『環境再生』で批判されている点はどうなのか、川崎モデルは企業中心で既存の施設の活用にすぎない新産業はこれまでのWater Frontに市民が近づけない環境を固定化するだけではないのか、インキュベーションを強調しているがあまりにスケールが小さく、もっと底辺から育てる仕組みが必要ではないか、市民参加がなかったのではないかなどなどです。
それに対して教授は、調査方法はフィールドワークによる地域全体の分析ではなく、一部を取り出したものなので、地域の実態を知らないところが多い、と正直に話されていましたし、川崎の臨海部に関しては立場の異なる学者同志の率直な意見交換はこれまであまりなかったということも認められておりました。
JFEがある限り、Water Frontが市民の憩いの場になることは実際はむずかしいということをヨーロッパ視察で強く感じられたようです。市民運動ということでは、産業博物館を作り、日本の近代化の実像をあるがままに展示する、その中に朝鮮人がどのように働かされたか、現在の問題は何か、公害はどのように発生し、どのように克服の努力がなされたのか、しかし現状はどうなのかなどなどを展示できればいいですねと、話しはつきませんでした。これからが楽しみです。人はやはり膝を突き合わせて話し合うべきですね。レッテル貼りや、排除や糾弾をする運動パターンを乗り越え、徹底した対話によるあるべき社会の模索の必要性と可能性を強く感じた出会いでした。
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